歩くこと

羽田道を歩く(3/3)海老取川〜大師橋

海老取川 旧穴守稲荷赤鳥居から弁天橋を戻り、堤防沿いの道を多摩川へ向かう。 海老取川は川と呼ばれていても、実際には運河だ。水の流れはなく潮の満ち干でなんとなく水が上がったり下がったりする状態。羽田漁師町の船を鈴木新田(今の羽田...
2020.07.25
歩くこと

羽田道を歩く(2/3)呑川〜旧穴守稲荷赤鳥居

末広橋を背に大鳥居商店街を抜けて羽田神社へ向かう。改修工事中の羽田富士を参拝したあと羽田猟師町へ。ブラタモリ出演の岡本哲志「羽田七曲りはなぜ七回曲がっているのか?」を参考に町の中を通り抜け、弁天橋を渡って旧穴守稲荷赤鳥居に到着した。
歩くこと

羽田道を歩く(1/3)するがや通り〜呑川

大石始『奥東京人に会いに行く』の「羽田漁師町」が印象に残ったので行ってみた。せっかく出かけるならと羽田道を歩く。羽田道は旧東海道の内川橋から分岐して玉川弁天や川崎大師への参詣と羽田の海産物を江戸へ運ぶ際に使われた道。今回は内川橋から終点の旧穴守稲荷赤鳥居まで進み大師橋で多摩川を渡った。
2020.07.23
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(16)最終回 東海道 神奈川〜川崎

本覚寺から宗興寺へ向かう。宗興寺は宣教師・医師でありヘボン式ローマ字の考案者であるヘボンによって診療所が開かれた場所。ヘボンことジェームズ・カーティス・ヘプバーンは布教と医療奉仕を目的として安政6(1859)年に日本へやって来た。ヘボンの姓は「ヘップバーン Hepburn」だが、当時の日本人はうまく発音できず「へぼん」と訛って呼んでいた。しかし呼ばれた本人はとくに嫌がることなく訂正もせず素直に受け入れ、自らも「ヘボンでござります」と名乗り、時には「平文」と漢字で署名することもあったという…
2020.04.21
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(15)東海道 藤沢〜神奈川

さて、前回に続いてまた遊行寺へやってきた。12月も半ばとなると少し冷える。凛とした朝の空気のなか、惣門をくぐっていろは坂を上ると、誰もいない広い境内の真ん中に本堂がでんと構えている。遊行寺を独り占めだ。前回、遊行寺本堂はひたすら大きいと書いたが、今日もその感想はかわらない。本堂はやはりひたすら大きく、そのどっしりとしたシンメトリーは訪れる者の気持を落ち着かせる。
2020.02.24

響き合い静かに奏でられる32章 千葉雅也『アメリカ紀行』

ざらっとした手触りの用紙にタイトルと著者名だけ印刷されたシンプルなデザインのカバー。ぱらぱらページをめくると、天地とノド・小口にたっぷり余白をとった文字組みにモノクロの写真が配されている。「哲学の中心はいま、アメリカにあるのか?」という帯のコピーは「32のvariationsで奏でるアメリカ。新しい散文の形。」と続く。
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(14)大山街道 田村道 伊勢原〜藤沢

本日のコースは大山道田村道の伊勢原から藤沢まで。前回は蓑毛から大山を越えて伊勢原まで下りてきたのでかなりのアップダウンがあった。標高でいうと300m→1250m→36m。今回は伊勢原36m→藤沢13mと行程のほとんどが平坦だ。過去の全コースに比べてもかなりフラットで・・・
2020.02.24
ノンフィクション

回想録なのになぜか書店へ走りたくなる!北上次郎『書評稼業四十年』

北上次郎の存在を知ったのは学生時代。80年代の初頭だ。書店で「本の雑誌」を見かけて手にとって衝撃を受け、すぐさま買って帰って隅から隅まで一文字残さず舐めるように読んだ…わけではない。よく覚えていないが、たぶん・・・
2020.02.24
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(13)大山街道 蓑毛道・田村道 蓑毛〜大山〜伊勢原

小田急線秦野駅北口から朝イチのバスに乗り、終点蓑毛で降りる。今日は蓑毛道から大山に登り、表参道を下って大山道田村道を辿って伊勢原駅まで歩く。蓑毛へは丹沢への登山口として何度か来ているが、宝蓮寺や大日堂は今回が初訪問だ。早朝のしんとした空気の中を…
2020.02.24
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(12)矢倉沢往還<平安・鎌倉時代の道>松田〜蓑毛

今回も引き続き矢倉沢往還を歩く。コースは松田から秦野、そしてかつて大山御師の村があった蓑毛まで。小田急線新松田の駅を出て歩き始めた。まず前回にわか雨で歩けなかった松田惣領宿をひと回りする。駅前から十文字橋へ向かうロマンス通りを西に進む。この愛称名には違和感があるがツッコミは無し。コンビニの前を左に曲がって道なりに行くと・・・
2020.02.24
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