【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(16)最終回 東海道 神奈川〜川崎

本覚寺から宗興寺へ向かう。宗興寺は宣教師・医師でありヘボン式ローマ字の考案者であるヘボンによって診療所が開かれた場所。ヘボンことジェームズ・カーティス・ヘプバーンは布教と医療奉仕を目的として安政6(1859)年に日本へやって来た。ヘボンの姓は「ヘップバーン Hepburn」だが、当時の日本人はうまく発音できず「へぼん」と訛って呼んでいた。しかし呼ばれた本人はとくに嫌がることなく訂正もせず素直に受け入れ、自らも「ヘボンでござります」と名乗り、時には「平文」と漢字で署名することもあったという…

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(15)東海道 藤沢〜神奈川

さて、前回に続いてまた遊行寺へやってきた。12月も半ばとなると少し冷える。凛とした朝の空気のなか、惣門をくぐっていろは坂を上ると、誰もいない広い境内の真ん中に本堂がでんと構えている。遊行寺を独り占めだ。前回、遊行寺本堂はひたすら大きいと書いたが、今日もその感想はかわらない。本堂はやはりひたすら大きく、そのどっしりとしたシンメトリーは訪れる者の気持を落ち着かせる。

響き合い静かに奏でられる32章 千葉雅也『アメリカ紀行』

ざらっとした手触りの用紙にタイトルと著者名だけ印刷されたシンプルなデザインのカバー。ぱらぱらページをめくると、天地とノド・小口にたっぷり余白をとった文字組みにモノクロの写真が配されている。「哲学の中心はいま、アメリカにあるのか?」という帯のコピーは「32のvariationsで奏でるアメリカ。新しい散文の形。」と続く。

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(14)大山街道 田村道 伊勢原〜藤沢

本日のコースは大山道田村道の伊勢原から藤沢まで。前回は蓑毛から大山を越えて伊勢原まで下りてきたのでかなりのアップダウンがあった。標高でいうと300m→1250m→36m。今回は伊勢原36m→藤沢13mと行程のほとんどが平坦だ。過去の全コースに比べてもかなりフラットで・・・

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(13)大山街道 蓑毛道・田村道 蓑毛〜大山〜伊勢原

小田急線秦野駅北口から朝イチのバスに乗り、終点蓑毛で降りる。今日は蓑毛道から大山に登り、表参道を下って大山道田村道を辿って伊勢原駅まで歩く。蓑毛へは丹沢への登山口として何度か来ているが、宝蓮寺や大日堂は今回が初訪問だ。早朝のしんとした空気の中を…

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(12)矢倉沢往還<平安・鎌倉時代の道>松田〜蓑毛

今回も引き続き矢倉沢往還を歩く。コースは松田から秦野、そしてかつて大山御師の村があった蓑毛まで。小田急線新松田の駅を出て歩き始めた。まず前回にわか雨で歩けなかった松田惣領宿をひと回りする。駅前から十文字橋へ向かうロマンス通りを西に進む。この愛称名には違和感があるがツッコミは無し。コンビニの前を左に曲がって道なりに行くと・・・

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(11)矢倉沢往還<足柄古道>足柄〜松田

足柄駅を出て、前回スルーしてしまった竹之下へ向かった。竹之下は矢倉沢往還の宿場町で甲斐方面への分岐点でもあり、交通の要衝として栄えた。富士山登頂後に吉田口へ下山した早野講は、翌朝、御師宅を出て籠坂峠を越え、須走浅間を参詣した後ここ竹之下に宿泊している。竹之下宿を歩き始めて気がつくのは、宿場時代の屋号を表示している家があることだ…

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(10)富士山-須走口五合目〜足柄

「富士山まで歩いて登りに行ってきた」も後半部へ。10回目の今日は須走口五合目から旧道を下って足柄駅までの32キロ。須走浅間神社、伊奈神社、きやり地蔵、瑞穂神社、一幣司浅間神社を巡りながら富士山の「木山」と駿東郡の田園地帯を行く8時間のコースです。

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(9)富士山 富士吉田金鳥居〜須走口五合目

とうとうこの日がやってきた。川崎宿から富士吉田まで街道を歩き繋いで約200km。9回目の今日は富士登山本番だ。いや富士登拝か。ルートはもちろん吉田ルート。0合目の金鳥居から登り始めて小屋で一泊し、翌日登頂して須走口へ下山する予定だ。山の天気予報を毎日チェックしているが状況はいまいちスッキリしない。登山指数が午前と午後の予報でころころ変わる。2日ほど様子を見てもラチがあかないので8月28日に出発した。吉田火祭りの翌日だ。