天保十二年「富士道中日記」全行程13日間400キロ徒歩の旅を繙く

mount-fuji-264256
北斎「甲州犬目峠」

まずは下の地図を見ていただきたい。天保十二(1841)年六月に、東海道川崎宿を出立して富士山登拝の旅を行った富士講の講員13名の行程を地図にプロットしたものだ。

道中の主要な社寺を詣でながら13日間で約400kmを踏破している。

天保12年富士道中日記

昔の人の健脚ぶりは驚きだが、なにより彼らが描いたルートは美しい。そしてこのルートを見れば、この旅がいかに充実したものであったかが分かるというものだ。

江戸時代には富士山信仰が盛んで各地で富士講というグループが組織され、人々は登拝の旅を行った。

ここで採り上げた「富士道中日記帳」は、川崎宿を拠点に活動したタテカワ講の記録で、川崎市内の旧家で発見されたものだ。出典は当ブログで散々お世話になった三輪修三『東海道川崎宿』(八雲書房)。

彼らは西川満翁という先達(指導者)に率いられて登拝の旅に出た。出発当日は川崎宿の稲毛神社(河崎山王社)に参集し、仲間に見送られて富士山へ向かったという。

登拝の旅に出ることは講員にとってあこがれであり、数年がかりで旅費を蓄えて準備する一生に一度の大旅行であった。

では実際の記録を見てみよう。

天保十二辛丑歳
富士道中日記帳

●六月廿六日 出立
・溝ノ口梅屋江休・矢ノ口渡通リ・府中仲屋昼食・府中六所宮江参り・日野渡通り・八王子山上江泊リ
●廿七日
・駒木野御関所通リ・高尾山飯綱権現江参リ・奥院江参リ・小仏峠江休・尾原通リ・与瀬角屋昼食・与瀬権現江参リ・二瀬川渡り・上の原江戸屋泊リ
●廿八日
・犬目江休・白滝山白馬不動江参リ・山谷鳥沢江休・猿橋昼食・谷村松屋泊リ
●廿九日
・小沼身禄江参リ・阿柄池江参リ・御胎内江参リ・御師江泊リ
●晦日
・馬返し江休・一合目鈴原江参リ・二合目仙元江参リ・三合目昼食・四合目江休・六合目経ヶ嶽江参リ・七合目身禄江参リ・八合目泊リ
●朔日
・九合目江休み・御頂上江参リ・砂はたき不動江参リ・小御岳江参リ・仙水池江参リ・御師江泊リ
●二日
・船津江休・川口池江参リ・西の海江参リ・西の海昼食・青木ヶ原通リ・赤池江参リ・精進池江参リ・本須池江参リ・本須江泊リ
●三日
・御浄土江参リ・赤池伝左衛門昼食・白糸滝江参リ・大宮江泊リ
●四日
・大宮浅間江参リ・吉原扇屋昼食・原江休・沼津仙元江参リ・三嶋明神江参リ・三嶋松葉屋泊リ
●五日
箱根山中江休・同峠昼食・御関所通リ・箱根権現江参リ・箱根はた江休・小田原中松泊リ
●六日
・道了大権現江参リ ・奥院江参リ・関本藤屋昼食・曲松江休・蓑毛江泊
●七日
・大山石尊大権現江参リ・不動明王江参リ・小安昼食・田村渡リ・藤沢湊屋江泊リ
●八日
・藤沢遊行江参リ・境木地蔵江参リ・新町道祖神江参リ・神奈川仙元江参リ・神奈川昼食・生麦坂口屋休
●七月八日・帰リ

(同書p299〜304)

三輪修三は「道中、良く丹念に歩くものと感心した」と述べているが、たしかに彼らはよく歩く。

初日の行程を見てみると、宿場を出立した一行は府中街道を進んで溝の口で小休止。そのあと矢野口で多摩川を渡って府中に至る。昼食を済ませてから六所宮(大国魂神社)を参拝した。

府中からは甲州街道に沿って日野まで進み、再び多摩川を渡って八王子宿に宿泊。移動距離は40キロと少々。とくに山坂のない平坦な道ならば、当時の人の平均的な移動距離だ。

翌日は駒木野関所を通過して高尾山の飯綱権現に立ち寄って参拝し、小仏峠を越えて上野原に宿を取る。

3日目に入ると北斎の『富嶽三十六景』で有名な犬目峠を経て猿橋を渡り、大月から甲州街道と別れて富士道に入り、谷村に宿をとった。

そして4日目、富士吉田の御師(おし)の家に到着した。御師とは麓で講員たちのサポートをする地元の世話人のこと。一行は間近に見る富士山の巨大さに圧倒されながらも翌日の登拝に向けて気持が昂ぶったことだろう。

富士山神宮および麓八海

富士山神宮および麓八海

5日目はいよいよ富士山に登る。馬返しで休み、1合目の鈴原神社、2合目の浅間神社を参拝して3合目で昼食を摂った。当時はここに2軒の茶屋があり、昼休憩に都合がよかったので中食堂と呼ばれていた所だ。さらに4合目を通過して6合目で経ヶ嶽、7合目で身禄堂を参拝して8合目に宿泊。

そして6日目に登頂。山頂の各社を参拝しながらお鉢巡りをして下山にかかり、途中小御嶽神社を経由して麓の御師宅へ戻った。

道中記は7日目から後半に入るが、引用部分にあるように帰路の行程はおそろしく盛りだくさんだ。家へ帰るというより、もうひとつ別の旅が始まるというくらいのイメージ。

富士五湖(当時は富士八湖)を巡ってから富士山の西麓を富士宮まで下り、本宮浅間大社を参拝して東海道へ出た。そのあと沼津、三嶋と参拝を続けて箱根峠を越え、小田原から道了尊を経て大山街道で蓑毛まで進んで大山不動を参詣。田村で相模川を渡り、藤沢まで下って遊行寺を詣で、横浜を経てようやく川崎宿まで戻った。

そこまでやるか!という徹底した参拝の旅。

つねに富士山を身近に感じながら歩くことができた旅の記憶は、彼らの心にしっかりと刻まれたことだろう。ちなみに帰路に大山に立ち寄ることは当時の富士山登拝者たちにとっては決まり事であったという。

私は富士山を拝んだりはしないが、こんな素晴らしい旅ができた彼らがひじょうに羨ましい。

羨ましすぎる・・・!