【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(8)富士道 田野倉〜上吉田

国道139号

第8回 田野倉〜上吉田

田野倉から谷村

早起きして始発から2本目の電車に乗って田野倉までやって来た。改札を出て自販機で水を購入し、国道139号線を歩き始める。2キロほど進むと九鬼を通過して道路は右に大きくカーブする。

頭上を行くリニア実験線と富士急線の下を潜ると富士道の旧道は川へ下りて行く。今その道は途切れていて使えない。国道を直進して朝日川に架かる落合橋を渡った。左手に煉瓦製のアーチ橋が見え、今時めずらしいと思いながら写真を撮って次のポイント井倉へ向かった。

落合水路橋

橋のことはずっと忘れていたが、調べてみたところ,名称は駒橋発電所落合水路橋といって桂川水系の水を駒橋発電所へ送水するための施設だ。明治40年に建造されたものでまだ現役だ。地理院地図を見ると送水橋から発電所まで開渠と隧道が繋がっている。

駒橋発電所といえば,先週通った第五甲州街道踏切の手前にあった発電所だ。発電所の横を歩きながら,水はどこから引いているのだろうと思っていたが,こういう仕組みだったのだ。水力発電といえばダムと単純に思い込んでいたのでこれで納得。流込み発電方式というそうだ。ちなみに導水路の総延長は6,687m。

駒橋発電所は日本の長距離高圧送電の魁で,東京電燈株式会社(東京電力)が明治40年に建造し,大月市駒橋から東京・早稲田まで5万5,000Vの高圧送電を行った。距離は76キロ。当時の送電は電圧1〜2万V,距離も20キロ程度だったので、駒橋発電所の記録はダントツで日本一だった。設備はその後更新され,最新式の発電機が導入されて稼働中だ。建設当時の発電機(横軸フランシス水車)もパーツを入れ替えながら今も現役で使用されているという。

では電気の送電先である早稲田変電所はどこにあったかというと,今昔マップに変電所の記号が見つかった。今の住所でいえば新宿区西早稲田。

ところで早稲田周辺といえば思い出すのは高田富士。富士講が江戸で初めて築いた富士塚で,のちの富士塚築造ブームのきっかけとなったものだ。変電所と高田富士は目と鼻の先で、歩いて10分ほどの場所にある。山梨からはるばる送られてきた電気の終着点が富士塚だった(変電所だが)という”発見”に今ひとりで盛り上がっている。なにか縁を感じませんか?

井倉の旧道

古川渡交差点を左に曲がって富士道の旧道を行く。この道は歩いていて心地良い。菅野川沿いの生活道路で,東海道や甲州街道のように街道ブームになっているわけではないので静かだ。これは富士道の旧道全般にあてはまることで,本陣や旅籠といった遺構と無縁なせいもあるかもしれない。

道は1.2キロほど続き,途中の富士道の道標や熊野権現社を見ながら国道へ戻る。

赤坂の旧道

生出(おいで)神社,市神社,常夜燈の前を通過四日市場交差点から再び旧道に入る。この旧道は短い区間ながら山道があってなかなか楽しい。ヤブ道から国道にもどったら富士道の宿場であった谷村に入っていく。

谷村

都留市の中心地である谷村は藩主秋元氏の時代に城下町として整備された。城跡は現在の谷村第一小学校だ。富士道は国道139号線に沿ってかぎ型に曲がり,市内をふたつに割って進む。『富士山道しるべを歩く』には,ここは国道ではなく一本脇の県道を行くほうが良いと書いてあるので,素直にガイドに従う。

谷村町駅近くの城南公園で休憩し,富士急線を踏切で越えて普門寺の前を通過した。

富士急線と並行して歩いて行くと都留文科大学前駅で国道と合流。400mほど先の道路の右に滝下不動,その向かいには田原神社があり,桂川を旧佐伯橋で渡ると田原の滝が見える。

夏狩から小沼,下吉田

富士山(田野倉〜富士山2
夏狩

夏狩は中央高速の北側にあり,国道139号線から大きく外れて集落に入る。いったんゆるい坂を上ってから集落へと下りていく。旧道の区間は約2キロ。家々の間に柄杓流川に合流する水路があり,早い速度で水が流れている。夏狩は湧水が豊富でこの時はとくに気に留めなかったが,流れが早いのは勾配のせいでもある事にあとで気づいた。

小沼

西桂町に入ってうどん屋で休憩し,小沼へ進む。小沼は『富士山道しるべ』でも谷村と同規模の扱いになっていて,富士講や修験者の宿場であった。西桂役場前交差点を左折して都留信金の隣にある「食行身禄尊150年祭」碑を見て道なりに曲がる。この辺りで少し雲行きが怪しくなってきたが,まだ先は長い。

小沼浅間神社

小沼浅間神社は養老5(721)年の創祀。タテカワ講の道中記に「小沼身禄江参り」と記されているように,多くの富士講道者が参詣した。小沼浅間神社は境内に湧水があり、水垢離の場でもあった。禊場では身を清めるが、湧き水は冷たくて気持がいいので夏場はかなり賑やかであったいう。

馬車鉄道と富士急行

小沼は徒歩の時代はもちろん,明治時代になって中央線が大月まで延伸すると,富士講も鉄道を利用して各地からやって来た。

とくに明治36(1903)年の富士馬車鉄道(大月〜小沼)と都留馬車鉄道(小沼〜下吉田)の開通をきっかけに,小沼は乗り継ぎ中継地としても栄えた。富士馬車鉄道と都留馬車鉄道は軌道の幅が異なっていたため乗り換えが必要だったのだ。馬車鉄道は大正10(1921)年に電気鉄道に引き継がれるまで運行された。

富士急行の沿革を調べようとWikiを見たところ「線形は最急40‰勾配と半径200m前後の急曲線が小刻みに連続する山岳路線である」と説明されていて驚いた。国道を歩いていても勾配には気づくことはなく,山岳鉄道というイメージはなかった。

しかし言われてみれば思い当たることがある。夏狩の水路を流れる水が早いのも、いつもより足が重い気がするのも,要するにずっと坂を上っていたからなのだ。田野倉駅から富士山駅までは400m。大月からだと500mも標高差がある。なるほど,登山口までまだ遠いとはいえ,ここも富士山の裾野なのだった。

暮地と小明見

小沼浅間神社を後に県道富士吉田西桂線を歩き始めた。この県道は三つ峠の山並みと桂川の流れの間を行く道で,とくになんということもない普通の風景が広がっているだけなのだけれど、歩いていて気持が良い(上り坂!)。天気はよくないが気分的にはわりと爽快だ。

『富士山道しるべを歩く』にはこのあたりから暮地経由と小明見経由の二つのルートが紹介されている。今回は暮地ルートを選んだ。1キロほど進み,5日前に開通したばかりの中央高速・富士吉田西桂スマートIC出入り口の先から国道139号線に戻った。

寿駅前を通過して小室浅間神社へ向かう。雨がパラパラと降ったり止んだりしているがなぜか空は明るく,左前方の雲の間に富士山が見えた。交差点で立ち止まってカメラのシャッターを切り、現在位置を確認しようと信号機を見上げると標識は「富士見二丁目」。確かにここは富士見だ。

小室浅間神社

宮川橋の手前から小室浅間神社の境内に入った。

小室浅間神社の創祀は延暦12(793)年。坂野上田村麻呂が富士山を遥拝して戦勝を祈願し,戦勝後に社殿を造営したことに始まるとされている。外国人旅行者の姿もあってここは観光地だ。しかし,行けばわかるというか,行かなければわからないのだが,境内は長い信仰の歴史を感じさせる厳かな空気に包まれていた。

神社を後に富士山駅へむかう。車の通行を避けて国道の裏道を選んだ。一方通行の商店街をまっすぐに進む。ここははっきりと上り坂だ。行動時間8時間で本日の目的地である富士山駅に到着した。

富士急線のホームでは富士山から下山してきた登山者が電車を待っていた。体は疲れているに違いないが表情には満足感がある。単純なことだけれど,日本一高い山というのはやはりステイタスであって彼らはサミッターだ。誇って良い。次は私も仲間入りするはずなのだが,はたして大丈夫なのだろうか。

2018年8月11日。歩行28.6km 37,294歩。

歩行通算207.7km 269,640歩

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