【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(12)矢倉沢往還<平安・鎌倉時代の道>松田〜蓑毛

第12回 矢倉沢往還<平安・鎌倉時代の道>松田〜蓑毛

松田から渋沢へ

今回も引き続き矢倉沢往還を歩く。コースは松田から秦野、そしてかつて大山御師の村があった蓑毛まで。

沢尻の道標

小田急線新松田の駅を出て歩き始めた。まず前回にわか雨で歩けなかった松田惣領宿をひと回りする。

駅前から十文字橋へ向かうロマンス通りを西に進む。この愛称名には違和感があるがツッコミは無し。コンビニの前を左に曲がって道なりに行くと、電柱の脇に道標がある。沢尻の道標と呼ばれ、秩父坂東供養塔を兼ねたものだ。摩滅が激しくてよく読めないが「左ふじ道、右大也万(大山)」と記してある(らしい)。

十文字渡し

道標の先で小田急線の高架をくぐって酒匂川へと向かう。突き当たりに見える堤防に上がると、酒匂川を見下ろして足柄の山々の風景が広がる。

この位置にかつて渡し場があった。酒匂川は氾濫が多く、川筋が変わる度に渡し場も移動した。資料によると江戸中期、後期、幕末期と3回移動したことになっている。いま立っているのは幕末期の渡し場だ。

松田惣領宿と延命寺

ロマンス通りを駅まで戻り、観音道を北へ進んで大門通を東へ向かう。観音道や大門通という通り名は延命寺・観音堂にちなんだものだ。

延命寺は文明4(1472)年、小田原北条氏によって開かれた。観音堂はたいへん古いもので建立は奈良時代にまで遡るという。

江戸期の延命寺周辺には旅籠や茶屋が何軒かあり、観音堂へのお参りや富士山、大山、大雄山最乗寺への旅人で賑わっていた。

籠場橋

国道255号線の下をくぐって籠場橋を渡る。橋のたもとに双体道祖神などの石仏が一列に並べられている。最も古いものは天保年間のものだ。すり減った道祖神にうっすら残る表情はどれも味わい深い。

小田急線の踏切を渡って左に曲がり、東名高速の下を通ってすぐ右へ折れて坂道を上る。ここを曲がらず川音川に沿って進んで行くのが江戸期以降の矢倉沢往還だ。今回は川沿いではなく篠窪(しのくぼ)峠を越える。

篠窪峠を越えるルートは古くから歩かれてきた道で、平安・鎌倉時代の道と呼ばれる。竹之下から足柄古道を歩いてきた経緯があるので、今回は古道つながりでこちらのルートを選んだ。

平安・鎌倉時代の道とウォーキング・ガイド

参考書はウォーキング・ガイド『矢倉沢往還』(2市3町共著)。前回もじつはこのガイドを頼りに歩いてきた。A4判60頁(地図付き)の本編に加え、A5のダイジェスト版もある。2018年5月から共同企画した市町(秦野市・南足柄市・松田町・大井町・開成町)で無料配布されているものだ。

私がこのガイドの存在を知ったのは10月。配布からすでに半年前経過している。役所が制作する頒布品は、制作した分を配り終わったらそれでおしまいというパターンが普通だ。なので在庫が気になる。大急ぎで問い合わせるとまだ入手可能というので、翌日もらいに行ってきた。こういう時は会社なんか行ってる場合じゃないのである。

神山神社と阿弥陀堂

というわけで、坂道を上る。東名高速の手前に阿弥陀堂、左手には神山(こうやま)神社がある。

阿弥陀堂は予備知識なしにいきなり行くと正体不明感が漂っているが、安永5(1776)年建立の篠窪・地福寺の末寺だ。

神山神社の創建は正長元(1428)年。すっきりとした境内に拝殿が配置されたひじょうにシンプルな神社だ。ガイドによると、昭和の半ば頃まで例祭には拝殿で田舎芝居が行われ、露店が出て大いに賑わったという。なるほど、イベントの会場だと思えばこの境内の空間は居心地が良さそうだ。

阿弥陀堂の先から古代の道へ入っていく。

富士見塚

街道の周辺は里山の風景だ。一旦車道に出て左に曲がり、街道へ戻るはずが、通り過ぎて県道秦野大井線に突き当たってしまった。足柄での地蔵堂の件があるので、少し凹みながら農作業用の小径で正しい道へ戻った。

富士見塚≒篠窪峠のことで、標高250m。見晴らしは良い。近くに「源頼朝公駒止の地」碑があり、頼朝が富士の巻狩をした際、ここで榎の樹に馬を留めて富士山の眺めを楽しんだと解説されている。

三嶋社と地福寺

三嶋社は篠窪地域の鎮守。根渡、三嶋、八幡の三社を祀っている。神社周辺の「椎の木森」には樹齢数百年の椎の大樹が繁っている。椎の木森は常緑植物の多様性が保たれた自然林として貴重な存在。鳥居の横のスダジイの古木の根元には椎ノ神が祀られていた。

地福寺は貞和3(1347)年、二階堂氏によって開かれた臨済宗建長寺派の寺院。入口に赤いニット帽を頭にのせた六地蔵が並んでいる。篠窪峠から移設された道標を兼ねる聖観音立像があったはずなのだが、見落としてしまった。

案内板

地福寺をあとに県道秦野大井線を進む。

道はゆるやかな登り坂で、秦野市との境界を過ぎると少しずつ下っていく。この一帯は渋沢丘陵ハイキングコースになっていてポイントごとに案内板が立てられている。丘陵の西に頭高山(ずっこうやま)という標高300mほどの山があり「頭高山1.5km 19分」という案内があったが、1分刻みの標識というのはあまり見かけない。曖昧はダメということなのでしようか。

渋沢神社と喜叟寺

渋沢神社へは朱色の鳥居をくぐって石段を上る。建保6(1218)年に鶴岡の若宮八幡を勧請したものといわれ、村の総鎮守であった。

喜叟寺は曹洞宗の古刹。室町時代中期の寄木造りの釈迦如来像がおさめられている。寺号は、源実朝に仕えていた何某が僧となって草案を結んだところ、ひじょうに徳があったので、人々に「貴僧」と呼ばれたことが始まりとガイドにある。

矢倉沢往還と富士大山道

渋沢駅に近づいて稲荷神社前交差点を右に曲がり、小田急線と並行するように東へと進む。

この交差点で左から合流してくるのが矢倉沢往還だ。ウォーキングガイドには「東西に走る矢倉沢往還と南方に走る富士大山道が交差する地点」と説明されている。富士大山道=平安・鎌倉時代の道だ。

ちなみに篠窪峠越えは川音川上流の四十八瀬川が増水した際の代替道としても利用された。

稲荷神社前交差点から水無瀬川を渡る秦野橋まで約1時間の道のりを淡々と歩く。途中には馬頭観音や矢倉沢往還の石碑など。

秦野から大山道で蓑毛へ

曽屋宿と十日市場

秦野橋を渡ると矢倉沢往還はやや北に向きを変えて曽屋宿に入る。本町四ツ角という交差点周辺が宿場の中心部だ。曽屋は人馬継立を行うほか、十日市場と呼ばれて市が立って賑わった。取引された商品は雑穀、農具、薪、まぐさなど。

元町の大山不動尊

本町四ツ角の先を右に曲がる。妙相寺を通り過ぎてさらに進むと駐車場の脇にコンクリートブロックで囲われたスペースがあり、石柱に載った不動明王像がある。

ガイドによるとこの不動明王像は文久3(1863)年、地元の有志よって建立されたもの。なぜこの場所に不動明王が?と思うが、ここが大山の麓だからというのが理由なのだろう。区画の中には道祖神や庚申塔もおさめられている。

入船町の庚申塔

曽谷宿を後に大山へ向かう。

入船町には大山富士道と矢倉沢往還の分岐点があり、道標を兼ねた庚申塔がある。道路の際にあるせいか何かがぶつかって(車とか?)台座から落ちたようで、直接地面に置かれている。元へ戻すにしてもそれなりの補修は必要だろうから、ここは行政の頑張りに期待したい。庚申塔に刻まれている文字は「右 いせ原道 左 大山直道」。「いせ原道」は矢倉沢往還のこと。「大山直動」という表現が◎です。

名古木

金目川を渡り、国道246号線と交差する名古木(ながぬき)交差点を渡り、矢倉沢往還と別れて蓑毛へ向かう。

名古木は難読地名で私はずっと「なこぎ」だと思っていた。

みちしるべの会

県道秦野清川線を進んで脇道に逸れ、民家の脇を抜けて畑の中の一本道を行く。正面に大山を望む気持の良い小径だ。

この道は大山道羽根尾道といって、いくつかバリエーションがある大山道のひとつだ。秦野市内の大山道の情報は「まほら秦野みちしるべの会」のサイトにイラストマップが載っている。「まほら秦野みちしるべの会」は、神奈川県内を通る大山道のうち、秦野市にかかる部分を歩いて郷土の歴史や文化にふれることを目的としている。同会のサイトには「なるほど!」と秦野への愛が溢れている。

坂本道碑

小径は程なく県道へ戻る。合流地点の手前に道永塚と坂本道を解説した石碑がある。坂本道はここから大山道羽根尾と分かれて東へ向かい、いより峠を越えて大山の麓の坂本村(現伊勢原市大山)へ至る道をいう。

95体の馬頭観音

熊野神社を右手に見て再び脇道に逸れる。

東小学校、波多野城址入口を通過し、金目川に向かって下っていくと橋のたもとに馬頭観音が祀られている。当初10数体だったものが、道路工事や家の建て替えで各所から持ち込まれて数が増えたという。最古のものは安政5(1858)年。

馬返し

金目川橋を渡ると入船町の庚申塔(直接地面に置かれていたもの)から分かれてきた大山道富士道と合流する。曲がり角には道標。道標の1キロ先が馬返しだ。

馬返しの手前には祠がふたつ。すぐ傍で新東名高速高取山トンネルの工事が行われていて、立入禁止柵の向う側に資材やクレーン車が見える。当日工事は行われていなかったが、工事現場のすぐ傍にある祠というのはせつない。いずれは移設されてしまうのだろうかと思いながら先へ進んだ。

大山鳥居

大山鳥居は道の真ん中に建っている。安政6(1859)年に作られたもので、扁額は「阿夫利神社」。みちしるべの会の解説によると、石材の御影石は赤穂で加工され、海路を二宮(現二宮町)まで回漕されたあと人力でここまで運ばれたもの。

蓑毛

大山鳥居から先はかつての御師の村だ。最盛期には御師宿が十数軒並んでいた。御師の家は元々は宝蓮寺の先の大山登拝道の奥にあったが、山津波で幾度か流されたためここへ移ってきたという。

スタートから7時間半、蓑毛バス停で本日の予定は終了。前回のラストと同様に最後は雨の中を歩いた。次のバスまであと20分。バスが早めに来てくれることを期待して、丹沢や大山からの下山者の列に並んだ。

2018年11月3日。歩行27.5km 35,711歩。

歩行通算331.8km 430,058歩

次回は蓑毛から大山をへて伊勢原まで。

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