街道

羽田道

羽田道を歩く(3/3)海老取川〜大師橋

海老取川 旧穴守稲荷赤鳥居から弁天橋を戻り、堤防沿いの道を多摩川へ向かう。 海老取川は川と呼ばれていても、実際には運河だ。水の...
2021.08.08
羽田道

羽田道を歩く(2/3)呑川〜旧穴守稲荷赤鳥居

末広橋を背に大鳥居商店街を抜けて羽田神社へ向かう。改修工事中の羽田富士を参拝したあと羽田猟師町へ。ブラタモリ出演の岡本哲志「羽田七曲りはなぜ七回曲がっているのか?」を参考に町の中を通り抜け、弁天橋を渡って旧穴守稲荷赤鳥居に到着した。
2021.08.08
羽田道

羽田道を歩く(1/3)するがや通り〜呑川

大石始『奥東京人に会いに行く』の「羽田漁師町」が印象に残ったので行ってみた。せっかく出かけるならと羽田道を歩く。羽田道は旧東海道の内川橋から分岐して玉川弁天や川崎大師への参詣と羽田の海産物を江戸へ運ぶ際に使われた道。今回は内川橋から終点の旧穴守稲荷赤鳥居まで進み大師橋で多摩川を渡った。
2021.08.08
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(16)最終回 東海道 神奈川〜川崎

本覚寺から宗興寺へ向かう。宗興寺は宣教師・医師でありヘボン式ローマ字の考案者であるヘボンによって診療所が開かれた場所。ヘボンことジェームズ・カーティス・ヘプバーンは布教と医療奉仕を目的として安政6(1859)年に日本へやって来た。ヘボンの姓は「ヘップバーン Hepburn」だが、当時の日本人はうまく発音できず「へぼん」と訛って呼んでいた。しかし呼ばれた本人はとくに嫌がることなく訂正もせず素直に受け入れ、自らも「ヘボンでござります」と名乗り、時には「平文」と漢字で署名することもあったという…
2021.10.16
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(15)東海道 藤沢〜神奈川

さて、前回に続いてまた遊行寺へやってきた。12月も半ばとなると少し冷える。凛とした朝の空気のなか、惣門をくぐっていろは坂を上ると、誰もいない広い境内の真ん中に本堂がでんと構えている。遊行寺を独り占めだ。前回、遊行寺本堂はひたすら大きいと書いたが、今日もその感想はかわらない。本堂はやはりひたすら大きく、そのどっしりとしたシンメトリーは訪れる者の気持を落ち着かせる。
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(6)甲州街道 相模湖〜野田尻

街道歩きの面白さはじつは宿場を外れたところにある。6回目となる富士山道中記は相模湖から野田尻まで。相模湖をスタートして吉野、関野、上野原、鶴川から野田尻へ路傍の道標や石仏・石塔を巡りながら上り下りを繰り返して徒歩の旅は続く。
2021.08.08
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(5)甲州街道 高尾〜相模湖

富士講の旅に高尾山と大山はつきもの。まずは高尾山に参り、帰路には大山へ参る。セットで参拝されることが多かった理由は何か?そして高尾山に浅間神社が勧請されたのはなぜ?富士山まで歩いて行く旅の5回目は高尾山から小仏峠まで尾根上を行き、相模湖へ下る。
2021.08.08
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(4)甲州街道 府中〜高尾

今回は、富士山を目指して府中街道から甲州街道へ合流して高尾まで。江戸初期の府中から日野までの甲州古道と渡し場について。また、八王子から日光につながる千人同心街道が北関東の富士講ルートと重なることについて等の話を交えながら街道を歩きます。
2021.08.08
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(3)府中街道 登戸〜府中

府中街道もこれで3回目。歩いたのは登戸から甲州街道との合流点・府中の大國霊神社まで。菅の六地蔵や庚申塔、馬頭観音と例によって「石モノ」を観察しながら富士山を目指します。「道しるべ」の面白さに目覚めた街道歩きをここに紹介。
2021.08.08
富士山

【平成富士山道中記】富士山まで歩いて登りに行ってきた(2)府中街道 中原〜登戸

府中街道2回目は小杉から登戸まで。庚申塔や観音さま、くつ稲荷と今も人々に大切にされている遺構を見ながら富士山を目指します。昔の多摩川の曲がりくねった様子や綱下げ松の謂われも盛り込んで見どころ満載の街道歩き。
2021.08.08
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