羽田道を歩く(2/3)呑川〜旧穴守稲荷赤鳥居

羽田道

末広橋を背に京急空港線大鳥居駅へ向かう。

変なホテル

みずほ証券研修センターが左手に見えるとその先には「変なホテル東京 羽田」。変わったネーミングとフロントにロボットがいることで話題になったHISグループのホテルだ。私はその存在を知らなかったため、あとでHPを見るまで頭の中が???状態だった。

通りかかったのが昼少し前で、チェックアウト・インの狭間の時間帯だったせいもあるだろうが、ホテルにしてはまったく人の気配がなく、妙に無機的でクリーンな建物が怪しく感じられたのだ。無人のフロントではAIのお姉さんがじっと正面を見つめたまま静かにスタンバイしていたのだろうか?

旧権助橋、大鳥居商店街
南前堀と旧権助橋

「変なホテル東京 羽田」の先で羽田道は枡形状にクランクし、店が軒を連ねる大鳥居商店街の中を行く。このクランクはかつて南前堀に架かっていた権助橋の名残だ。

商店街の通りは微妙にカーブを描いていて、この道が古くからの街道であることがよくわかる。

大鳥居交差点で羽田道は産業道路と重なる。

羽田神社と羽田富士

羽田神社の前身は北側に隣接した自性院に祀られていた午頭天皇社で、明治40年に現在の社名に改称された。羽田の総鎮守としてこの地を守る。空港や航空関係者が空の安全を祈願する神社としても知られている。境内には末社が五つあり、そのうちのひとつである浅間神社の羽田富士は羽田木花講が築造した富士塚だ。

羽田富士はこのブログにも何度か登場している有坂蓉子『ご近所富士山の謎』(講談社+α新書)にも掲載されている。”昼なお暗い鳥居の奥は…”という記述があって写真も載っていたので期待して行ってみたら、おお、木がないじゃないか!

「羽田富士塚改修工事 令和元年11月11日~令和2年2月上旬」という掲示とともに土木工事がおこなわれていた。富士塚の中腹から上の部分のボク石を崩して、コンクリートでプリンの形に固めようとしている。う~ん。街中の神社なので高く伸びすぎた木には手入れが必要だろうしボク石を積んだ富士塚も150年以上経っているので補修を要するという管理者側の立場も理解はできるが、これはちょっとさみしい。何かがひとつ失われてしまった気がする。

ボク石の周囲にある講碑や石碑は従来のとおりだ。富士登山133回、中道33回、雪中登山15回というスゴすぎる記録は各地にある講碑に刻まれた数字の中でも群を抜く。

正蔵院

羽田神社の参拝を終え、正蔵院の前を左に折れて東へ向かう。

正蔵院は喜修山了仲寺と号し、玉川八十八カ所霊場、東海三十三観音霊場、武相不動尊霊場。山門の左側手前に「羽田街道」と刻まれた道標が設置されている。海上安全と大漁を祈念する不動尊だ。

龍王院

「羽田薬師」として親しまれる龍王院は正蔵院とともに羽田漁師町の重要寺院で町の突端にある五十間鼻無縁仏堂とも関わりが深い。

境内にある羽田道道標は宝暦年間に建てられたもので「是右 石観音 弘法大師道」と刻まれている。「石観音」は川崎大師の表参道にある明長寺の境外仏堂。川崎大師から南へ1キロほどの場所にあり、江戸時代に川崎大師とペアで参拝された人気スポットだ。

羽田猟師町と赤レンガ堤防

羽田猟師町に「猟師」の字が充てられるのは、羽田が中世の頃から「漁猟」に従事する猟師たちによって形成されてきたからだ。

一本道を進んで行くと多摩川の旧防潮堤である赤レンガ堤防が見えてくる。赤レンガ堤防は大正時代の高潮による被害を受けて昭和3(1928)年度に着工され、6年後に完成した胸壁だ。

羽田道は赤レンガ堤防との合流部手前を左に折れて、羽田6丁目の住宅街を右左折を繰り返しながら進んで行く。羽田道終盤のハイライト「羽田七曲がり」だ。

羽田七曲がり

羽田七曲りはなぜ七回曲がっているのか?という疑問について、NHK「ブラタモリ」(2011年1月放送)に出演した岡本哲志が番組ロケハン時のエピソードを絡めながら不動産系のサイトに詳しい考察を掲載している。

「ブラタモリ」に登場した羽田の漁師町を歩く①―湊はどこにあったのか?

「ブラタモリ」に登場した羽田の漁師町を歩く②―どうして七曲がりができたのか?

都市形成史の専門家による解説は明解でわかりやすく、しかも、現地に立ってみるとひじょうにリアルだ。ブログの記事は羽田漁師町のあと神奈川県真鶴町の地形とまちの形成へと話が進んでいく。こちらもハンパない説得力にぐいぐい引き込まれる。

「伊豆・真鶴」のラビリンス空間①――すり鉢状の地形に成立した原風景

「伊豆・真鶴」のラビリンス空間②――時代の違いがわかるまちと地形の関係

鴎稲荷神社

七曲がりの途中で鴎稲荷神社と藤崎稲荷神社へ立ち寄る。

鴎稲荷神社は江戸期・弘化年間頃の創建。海上安全と大漁を祈願して祀られた。神社入口の鳥居のわきに羽田道石碑があり、簡単な七曲がりの解説がある。

藤崎稲荷神社、入船湯

藤崎稲荷神社は小さいながらも手入れが行き届いていて、赤い鳥居と一対の狐が印象的だ。

鴎稲荷神社と藤崎稲荷神社の間に入船湯という銭湯がある。私が羽田道を歩いた時はまだ営業していたが、2020年3月31日で閉店した。

羽田の町にはかつて町会ごとに一軒くらいの割合で銭湯があった。漁師たちは海で常に潮水を浴びているため毎日風呂に入る必要があり、銭湯は日常生活に欠かせなかった。入船湯もそうした銭湯のひとつで江戸時代から続いた老舗であった。

白魚稲荷神社

弁天橋通りに出て少しだけ西へ戻り、羽田七福稲荷のひとつ白魚稲荷神社に立ち寄った。社名の由来は、羽田沖の白魚の頭には葵の紋がついていると伝えらていて、その年初めて獲れた白魚を猟師たちが神前に供えたことによる。

白魚稲荷神社は弁天橋通りの北側に位置し、通りから神社に向かって地形はゆるやかに下っている。「羽田の漁師町を歩く②」で解説されていたように、中世の頃はここが砂浜であったとしても違和感はない。拝殿が周囲の住宅よりもかなり高く築かれている様子が、あたかも少しくらい水が上がってきても大丈夫と言っているように思えてくる。

旧穴守稲荷赤鳥居

弁天橋を渡ると羽田道の終点に到着した。

旧穴守稲荷赤鳥居は平成11(1999)年2月に空港駐車場から現在地に移設された。

移設の経緯やエピソードにつては、横山宗一郎・宮田登『空港のとなり町 羽田』(岩波書店)や大田区史編さん室『大田の史話その2』(東京都大田区)の2冊に詳しい。

『空港のとなり町 羽田』は昭和時代の羽田の暮らしを記録した数多くの写真で構成されたビジュアル・ブック。『奥東京人に会いに行く』のインタビュイーである羽田節保存会会長・大山義一氏が記憶するかつての町の姿と重なる部分も多く興味深い。

歩行:2019年12月14日

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