竹沢うるま『The Songlines』写真では掴みきることができない旅の世界

pool-802025_1920 旅の本
帰国した写真家

竹沢うるまが1021日、103ヶ国に及ぶ世界一周の旅を終えて帰国したのは今から5年前のことだ。

『Walkabout』『The Song lines』

その長い旅の記録は、2013年の写真集『Walkabout』(小学館)と2015年の旅行記『The Song lines』(小学館)にまとめられている。

ここで採り上げるのは旅行記『The Song lines』。文章で綴られた旅の物語だ。

第一章「旅立ちの朝」にこんな記述がある。

僕の職業は写真家である。写真を撮ることを生業にしている。(中略)旅を終えて一年以上経ったいまに至って、なぜ写真ではなく文章で旅を振り返っているかというと、そこにはどうしても写真では捉えきることのできない世界があるような気がするからである。物事を写真で表現する写真家として、その世界を写真で表現しないで言葉に頼るということは大きな矛盾があるように思える。しかし、そこにはやはり確かに写真では掴みきることができない世界がある。(p24)

また、

旅を終えてから、心のなかで何かしらの違和感が存在していた。(中略)帰国の報告を済ませ、写真集をまとめ、また普段の撮影の仕事を再開してからも、違和感はなくなるどころか、どんどんと胸のなかで大きなウエイトを占めて行くようになっていった。それは僕の心のなかに留まることを望まず、語られることを待っているような気がした。(同)

彼の旅への思いは、写真集『Walkabout』のあとがきや各写真に付けられたキャプションからも読み取れるが、この『The Song lines』で語られる物語は、もっと濃厚でどろどろしている。そして読む者に強い印象を与える。320頁もある分厚い写真集を発表しても、語り尽くせなかった物語がここには確かに存在する。

アヤワスカ

ところで、本書はいわゆる日記的な旅行記ではない。竹沢うるまが世界の国々をどういった順路でどのように巡り歩いたかは、本書を読んでも、じつはよくわからない。写真集『Walkabout』で表現されたシーンが世界103ヶ国を満遍なく扱っていないように、本書に描かれたシーンも地理的に偏っている。具体的には南米とアフリカにより多くのページが当てられているのだが「心のなかに留まることを望まず、語られることを待っている」物語たちの意志が南米とアフリカではとくに強かったということなのだろう。

なかでも、アマゾンの奥地で受けたシャーマンによる儀式は彼の旅に対する意識を大きく変えることになった。

(彼が儀式を受けたサンフランシスコ村はペルーの奥地プカルパから北へ20km)

彼がアマゾンの奥地へ分け入るきっかけとなったのは、マチュピチュからの帰途に出逢った一人の旅行者との会話だ。これからペルー・アマゾンの奥地にあるシャーマンの住む村へ行って儀式を受けるという。

その儀式にはアヤワスカという植物で作られた飲用物が用いられる。アヤワスカとはアマゾン川流域に自生する蔓植物のことで、ケチュア語でアヤは精霊、ワスカは蔓を示し、「精霊の蔓」「死者の蔓」という意味がある。アヤワスカは儀式を受ける者に幻覚をもたらし、ビジョンを示すといわれている。

彼が受けたアヤワスカの儀式による幻覚のイメージを拾ってみると、

鬱蒼としたジャングル。ねっとりと肌にまとわりつく淀んだ空気と滲み出す汗。

暗闇の奥から聞こえてくるシャーマンの不思議な声。うねりを伴って泡立つ周囲の闇。

近づいてくる極彩色のコンドル。

逃げようとしても誰かに押さえ込まれているように動かない体。

肉体に閉じ込められた精神はコンドルに導かれて肉体から離脱し、ゆっくりと一人歩きを始める・・・。

と、かなりカラフルだ。

この儀式についての記述は本書の中で大きなウエイトを占めているのだが、儀式の話そのものはさして重要ではなく、儀式をうけることで呼び覚まされた彼のさまざまな過去の記憶とそれらに対峙する彼自身の姿勢に意味がある。

儀式の最後、僕は黒い霧を吐きだし続けていた。それは自分が抱える過去だったと思う。子供のころのトラウマ。人を傷つけ、逆に傷つけられた記憶。写真を仕事にするようにしてから抱いていた不満や嫉妬。思うように物事が進まず極限までに抑圧された心。ひとつひとつそれらに向き合い、整理されることもなく放り出されたままの過去はあるべき場所に収められ、いびつに変形したものは、綺麗に形を整えられた。(p171)

それまで彼に重くのしかかっていた数々の記憶や遠い学生時代の出来事を、アヤワスカの儀式は浄化した。彼はそれを大地と繋がる感覚と言うが、ではその感覚とはどのようなものなのか?という話になると、説明には長い物語が必要だ。本書が書かれなければならなかった理由もそこにある。

世界は広かった

シャーマンの村を去った彼は、その後、南米を離れて中東からアフリカ大陸に入り、反時計回りに移動を重ねてヨーロッパ、ユーラシアを経て日本へ帰国する。

南米の旅も決して楽ではなかったが、中東やアフリカの旅はもっとタフで「いま」に満ちていた。過酷な環境や主張の強い人々は彼の体と心をすり減らす。しかし、異なる世界と対決するのではなく受け入れることができるようになると、彼の旅はもっと自然で自由なものとなった。

盗難に遭ってモノがなくなっても簡単に驚いたり動揺したりせず、目が据わって顔つきも鋭くなる。モノを失えば不便を甘受しなければならず、時には旅程に大きな支障も来すが、その一方で、自分がたしかに生きている実感は、旅を始めた当初とは比べようもなく大きなものとなっていった。

なぜここまで長く旅することになったのだろうかと時々振り返るが、それはやはり「世界は僕らが思うよりも遙かに広く、そして深い」という一語に集約される。世界は何だかんだ言って、広かった。(p12)

写真集『Walkabout』で展開された「何だかんだ言って、広かった」世界は、本書によって深みを増す。写真集と合わせ読むことによって、われわれは竹沢うるまの旅をよりよく理解することができる。

旅情熱帯夜

旅情熱帯夜

竹沢うるまはこの世界一周の旅について、写真と文章と手書き日記をコラージュした『旅情熱帯夜』というシリーズも制作している。

旅情熱帯夜-1021日・103ヶ国を巡る旅の記憶』(2016年/実業之日本社)と「旅情熱帯夜-ポルトガル編」(2017年/アタシ社)、「旅情熱帯夜-バングラデシュ編」(2018年/アタシ社)の3編だ。

「写真家・竹沢うるま」としての作品ではなく、旅する者の心の揺らぎや高揚感を表現したかったという言葉のとおり、『Walkabout』や『The Song lines』とは対照的な、雑多でざわざわした旅の日々が描かれている。

彼はインタビュー等で、次に何をするべきかは自分の中で決まっていて、それらをひとつひとつ仕上げていかなければ先には進めないと語っている。

彼は今なにを考えているのか?

次の作品がとても楽しみだ。

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