Yahoo!ニュースをぱらぱらと見ていたら「日本の食塩からも検出!世界規模で拡大するプラスチックによる海洋汚染」という記事が目にとまり、そうそう、これなんだよねえと思い出したのがアラン・ワイズマン『人類が消えた世界』(早川文庫)だ。
「人類が消えた」というのは、巨大隕石落下とか核による破壊といったものではなく、”私たち全員が突如として消えてしまった世界を想像してみる”ということ。
その後地球がどうなってゆくのかシミュレーションしたものが、本書口絵にカラー・イラストで説明されている。「数日後」から始まって「2〜3年後」「5〜20年後」以下、200年、500年、1万5000年、30億年、50億年と続く。
50億年後には太陽は地球の軌道以上の大きさまでにまで膨張し、地球は飲み込まれてしまうので、真っ赤な太陽のイラストがあるのだが、いずれは蒸発してなくなってしまうと言われると、せっかく人類消滅後の世界を想像しようと思っても、身もフタもないというか、脱力する感はある。以前、娘に太陽膨張の話をしたら「それは怖すぎるので、却下!」と言われた。
ちなみに私は、太陽は膨張して爆発したらブラックホールになるものだと思っていた。しかしそうなるには太陽の質量が不足していて、もっとランクが下の赤色巨星になるらしい。水星も金星も道連れなのだから、最後は思いっきり超新星爆発して立派なブラックホールになって欲しかったのだが、まあそんなことはどうでもいいか。
本書はタイトルはSFっぽいが中身はサイエンス本だ。本文は470頁もあり、文庫本にしてはボリュームがある。テーマは題名が示すとおり人間が消えたあと、
自然は、私たちが残した痕跡を跡形もなく消してしまえるだろうか?いかにして、壮大な都市や公共施設を消し去り、無数のプラスチック製品や有害な化学合成品を無害な基本元素に還元するのだろうか?
という疑問を考察することだ。
話はわかりやすい所から始まる。
人類が姿を消した翌日になると、自然が支配権を握り、ただちに家を片付けはじめる。
「翌日」というのが、問答無用の待ったなしで誰にも阻止できない感じが不気味だが、自然とは元々そういうものなのだ。まず建築物が崩壊し、植物が繁茂して、鳥類をはじめとする動物たちが跋扈する。

本書口絵「500年後」 ©Kenn Brown
崩壊の過程の記述は、ひとつひとつ理由付けがされていて、ある場所について、ここは今まで人間が管理していたが、その管理体制が無くなるからそうした結果を招くという論理だ。数日、あるいはほんの数時間、管理が途絶えただけで崩壊が始まる。人間が築いてきた都市が、どれだけ自分たちの都合に合わせられた「不自然」なモノであるのかがよく分かる。身勝手極まりないと、叱られているような気持になってくる。
自然の支配が暫く続いて壊れるべきものが壊れてしまうと、残るのは建築物の残骸と金属やプラスチックの類だ。金属のうちでもアルミニウムやステンレスは厄介だとワイズマンは述べる。とくにフライパンや鍋に使用されているクロム合金は、数千年の間その組成を維持し、地中に埋もれて酸素が届かない状態にあれば、例えば10億年くらいはそのまま使える状態を保つという。
なるほど、たかが目玉焼き1コを作るために、そんなオーバースペックの道具を我々は使用しているのか。
実地調査や数々のインタビュー、そして的確な資料を示された上でのワイズマンの圧倒的な説得力は、我々に言い訳を許さない。「おっしゃるとおり」なのだ。
しかし、この調子で470頁も講義を続けられたらちょっとキビシイかもしれない。本書のカバーに、”ベストセラー・ノンフィクション待望の文庫化”とあるけれど、ホントにそんなに沢山売れたのか?こんなに叱られて、みんなM?などと思ってみたりして・・・
とはいえ、じっくり読み込んでいくと、ワイズマンの講義(講義ではないですが)はやはり興味深く面白い。章立てや構成が緊密かつ、具体例を引きながらの講義は読者を飽きさせない。ワイズマン教授(教授ではないですが)はクールで、そのスタンスは、ワイズマンにインタビューを受ける科学者や専門家もおおむね同じだ。淡々と自分の研究結果を披露し、未来の予測を語る。
糸井重里が釣りのことを「おもつらい」と表現していたが、まさにその感じだ。ちとツライが面白い。
例えばわかりやすい面白さは、アフリカのケニアのバラとカーネーションの話。
”ケニアはイスラエルを抜いて、ヨーロッパ向け切り花の最大の供給国となった。切り花はいまや、コーヒーを上回る主要な輸出収入源となっている。”
へえ、知らなかったなあ。ケニアってそうなんだ。と思って先を読むと、切り花を輸出することは水を動かすことだという。人間と同様に花も3分の2は水でできているので、バラやカーネーションを輸出するということはせっせとヨーロッパへ水を運び込んでいることになるというのだ。その結果いろいろ良くない事が起こるのだが、こうした発想を普段我々はしないから、少なくとも私はしたことがないので、へえ!の連発でとても興味深い。
一方、太平洋のど真ん中にあるキングマン・リーフのフカヒレハンターの話はつらい。
”香港でフカヒレのスープは一杯100ドルもする。ハンターは胸びれと背びれを切り取ってから、まだ生きているサメを海に投げ捨てる。舵を失ったサメは海底に沈み窒息死する。”
「1年間に、人間は1億匹のサメを獲りますが、サメが襲う人間はおそらく15人ほどです。フェアな戦いではありません」という研究者の言葉に反論するのはむずかしい。1億匹という数字はキビシイし悲しい。
ところで、冒頭のYahoo!ニュースで取り上げられたプラスチックゴミの件は、本書第2部の9「プラスチックは永遠なり」の章に登場する。
プラスチックには、人間を不安にするほど不滅な感じがつきまとう
とあるが、確かにその存在には不滅感を感じる。世界各地からやってくるプラスチックのゴミはニュースの記事にもあるように、海流に乗って太平洋の中央部に集まって来る。
ペットボトルやポリ袋ばかりではなく、ナードルと呼ばれるプラスチック原料材の小粒も膨大な量になるという。何しろナードルは年間5500兆個(重量換算1億1350万トン)も生産されていて、軽くて小さいし弾力性もあるので、飛散しやすく配水管にも紛れ込みやすい。投棄しなくたってどこからか転がってきてゴミになる。海中にあれば鳥・魚類や小型動物がエサだと思って摂取するのは防げない。

練り歯磨の中のポリエチレンの微小球晶 By Dantor (talk) 20:55, 18 November 2013 (UTC) (Own work) [CC BY-SA 3.0
こうした現状をみると、う〜ん。これって、もうどうしようもないんじゃない?という心境になってしまう。
人類が地球に加えているダメージがこれほど大きなものだったとは。
そうでないことを願ってはいたものの、ダメージは我々の想像を超えた次元のものであるようだ。リカバリ不能の一線を超えてしまったのだろうか?
が、しかし本書にはまだ先がある。最終章の第4部19 「海のゆりかご」で語られる微生物の世界だ。
微生物は、私たち—–もしくはなにかほかの生き物—–がいようがいまいが大して気にしません。(中略)実際、地球上に微生物以外の生き物が存在する期間はごく短いものにすぎません。何十億年ものあいだ、微生物しかいなかったのですから。
とワイズマンの取材を受けた微生物学者のフォレスト・ローワーは語っている。
それがたとえどれほど遠い先のことであるにせよ、いつかはプラスチックを分解する遺伝子を持った微生物が現れるという。いま存在する量のプラスチックを全て分解するには何十万年とかかるだろうが、必ずその日は訪れるという。なるほど、微生物が自然の最終兵器だったのか。まだアウトではなかった。
ところで、今書いてきたようなことは本書のごく一部だ。プラスチック限らずもっとワイドに、地球規模で様々なジャンルについて語られている。消えた動物たち、油田、農地、放射能、過去に滅んだ文明など、ワイズマンの講義は長いが読者に多くの「 ! 」をもたらしてくれる。
地球は大きいなあ!と子どものような感想を抱きつつ、本書の最終章を読み終えた。これがベストセラーの実力か。サイエンス・ノンフィクションはおもつらくて、やめられない。
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