第6回 相模湖~野田尻

平成富士山道中記の6回目は相模湖駅(与瀬宿)からのスタート。八王子や高尾あたりまではまだ首都圏の一部、もしくはぎりぎり端っこという気がしていたが、相模湖まで来ると空気が違う。武蔵野国から相模国に入った。
与瀬宿から上野原宿
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与瀬宿
相模湖駅を出て国道20号線を歩き始める。とくに特徴もない普通の国道だがここは与瀬宿だ。与瀬神社参道手前の本陣跡に築山と石碑があることでそれとわかる。
タテカワ講道中記の2日目に「与瀬角屋昼食、与瀬権現江参り」と書かれている。一行は与瀬宿で昼食をとって与瀬神社を参詣した。
同じ天保12年の春、歌川広重が甲府で幕絵を制作するため甲州道中を旅してこの与瀬宿へ立ち寄った。旅の様子は『甲州日記』として残されている。与瀬宿は鮎が名物だ。広重はここで鮎寿司を食べ、「甚だ高値、其の代りまづし」と記している。今井金吾によれば「酷評」だ。茶屋に問題があったとしても、当時の相模川は清流で流域では鮎漁が行われていた。
柿生村の早野講も与瀬宿の茶屋で休憩をしている。そして河原まで下りて相模川を渡り、日連・勝瀬の集落を通り抜けて川を渡り返し吉野宿へ向かった。このルートは渡しが2箇所あったので二瀬越えと呼ばれ、近道として使われた。
与瀬神社
与瀬神社はこの地の古社で、創建は室町より古いとされている。もとは相模川の北岸にあったがその後現在の高台に移された。地元では与瀬の権現さまと呼ばれて信仰を集める。
与瀬神社の例大祭は毎年4月の桜の季節
慈眼寺(別当寺)横の急な石段を上がった境内には、拝殿、本殿、神楽殿、絵馬殿があり、境内社も多い。また境内には登山道の道標が立てられている。地図で確認したところ、2時間少々で明王峠まで登ることができる。陣馬山から高尾山へ繋がる尾根だ。とても地味そうだけれどのんびりしたワンデイ・ハイクが楽しめそうなルートだ。
神社を背に参道を下る
参道を戻って中央高速の山側の道を行く。『富士山道しるべ』に甲州古道の貝沢橋を渡るルートがあって楽しみにしていた。ところがこの日はあいにく台風が通過した直後で、沢は濁った水がざあざあ流れている。橋は丸太造りで一見問題なさそうだが渡ろうとすると意外に不安定だ。つるんと滑ってドボンとなるイメージが頭に浮かび、迂回することにした。ビビったのではなく、慎重な判断を下したと理解していただきたい。
貝沢への未舗装路
吉野宿
中央高速の山側の道を西へと進む。この辺りから吉野宿までは街道らしい風景が広がって歩くのが楽しい。
甲州古道「子の入」標柱までは軽い上り坂でそのあと「椚戸」標柱まで下って行く。高札場跡を通り、再び国道20号と合流するとそこが宿場の中心だ。道路の相模湖側に郷土資料館の「旅籠ふじや」、山側には本陣跡の碑が建てられている。
「子の入」標柱までゆっくり坂を上る
ネコ顔の土蔵
手入れの行き届いた庭木を見ながらさらに坂を上る
標柱、馬頭観音、石仏が所々に
高札場跡には六地蔵
関野宿
吉野宿を後に沢井川を渡って関野宿へ向かう。かつてはここに子猿橋という橋が架けられていた。工法は猿橋と同様に刎木(はねぎ)の支柱が使用されたが、規模が若干小さかったため子猿橋と呼ばれた。今その橋の痕跡はないが国道の吉野橋の袂に廿三夜塔と石碑、解説板がある。
吉野橋で沢井川を渡る
橋のたもとの子猿橋の解説板と廿三夜塔、百万遍石碑
関野宿はひじょうに地味でしっかり予習をしていかないと、あれ?という感じで通り過ぎてしまう。どこかに関野本陣跡の解説板があったはずなのだが・・・。
関野宿はこのあたり
境沢橋
国道20号線の名倉入口交差点から斜め左に境沢橋まで坂を下る。境川はその名のとおり相模国と甲斐国との国境だ。
境沢(境川)まで下りていく
境沢は甲州と相模の国境
境沢橋には立場茶屋があって、広重はここへも立ち寄った。
境川に至る。津久井・郡内の境なり。川を見はらし、絶景なり。こゝに茶屋三軒あり。上の方よろし。中の茶屋に休。少々くうふくになり四人食事する。あゆの煮付、さくら飯、又うとん一ぜん喰、酒一杯のむ。一合二四文なり。
与瀬の鮎寿司をまずいといいながら、ここでも鮎を注文している。寿司と煮付けは別物だから再チャレンジか。山間の街道だからバラエティ豊かなメニューというわけにはいかなかったのだろうと思うが、「酒一杯のむ」というのが良いですね。
をとめ坂
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境沢橋からは相模川を見おろしながら、ヘアピンカーブの「をとめ坂(乙女坂)」を上り返す。坂を上がりきる手前にあるのは諏訪関の跡。武田信玄が北条氏への備えとして整備したものを徳川が引き継いだ。境川番所、境川口留番所とも言う。常駐の番人は二人くらいしかおらず、それほど厳重な関所ではなかったという。
をとめ坂のヘアピンカーブ
諏訪関跡は坂の途中
諏訪神社で休み、疱瘡神社・塚場一里塚跡を通ると上野原宿に到着した。
上野原宿から野田尻宿
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上野原宿
上野原宿は本陣1、脇本陣2,旅籠20軒で最盛期には250軒の商家が軒を連ねていた。郡内織という絹織物の産地で毎月一と六の日に市が立って賑わった。名物の酒まんじゅうは各地からやってくる商人達に人気があり、口コミで評判が広まった。今でも上野原市内には酒まんじゅうの看板を掲げる店がある。
上野原宿
鶴川宿
上野原市街を抜けて鶴川へ下りていく。鶴川には渡し場があり、冬春は橋渡りで夏秋が川越えだった。前にも書いたがこの日は台風が通過したばかりで川は濁って増水していた。昔なら確実に川留めに遭うところだ。ちなみに川留があると鶴川宿やこの先の野田尻宿は逗留客で賑わった。
上野原宿を出て鶴川橋一帯を見おろす
鶴川は台風の通過で増水していた。向こうに見えるのは中央高速の鶴川大橋
鶴川橋を渡ると石碑が建てられている。鶴川宿の入口だ。街道は再び坂を上っていく。甲州道中は地形を忠実にトレースしながら上り下りを繰り返してはくねくねと進む。小高い場所からは一帯を見おろし、坂を下りれば次の上りを見上げる。単調といえば単調なのだが移りかわる風景に小さくココロを動かされる瞬間があり、それがちょっとした旅感を生む。6回目にして初めてこの感覚を味わった。地味に感動する。
鶴川宿の碑
宿場は静かだ
野田尻宿
中央高速を跨いで大椚一里塚跡を通過し、大椚観音堂のある吾妻神社で休憩。長峰砦跡の先で再び中央高速を跨ぐと野田尻の宿場へ入った。
中央高速沿いの道を行く。野田尻まではあと少し
野田尻宿は本陣1,脇本陣1,旅籠9軒の宿場。一本道の両側に家屋が並んでひっそりとしている。車は通らず歩いている人も見当たらない静かな宿場だ。
広重は野田尻宿に泊まり、旅籠自体は気に入らなかったが出された食事はおいしく頂いたようだ。「この夜の膳、献立、皿(塩あじ半切)、汁(菜)、平(氷どうふ、いも、菜)、飯」と日記に記している。鮎ではなく塩あじだが、湘南の海から相模川を舟で運んできたのだろうか?
野田尻宿の町並
ここで本日の予定は終了。相模湖からの行程を思い返しながらしばらく休憩し、JR四方津駅へ向かった。今日の甲州道中は起伏に富んで歩きがいがあり、旅らしさが味わえる楽しいコースだった。次回は犬目、猿橋をへて大月から富士道に入る。
2018年7月29日。歩行29.0km 37,381歩。
歩行通算149.5km 194,061歩
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