紀伊國屋通いの頃

omoideyokocho 日々のこと

先日、紀伊國屋書店新宿本店のエレベーター・ガールについて書いたら、メールをもらった。10年ほど前に、紀伊國屋書店の地下の店で働いていた事があるという。懐かしいです!というのだけれど、その人もエレベーター・ガールのことは記憶にないらしい。いったい何時ごろからどんないきさつで導入されたサービスなのか、気になるといえば気になる。

では早速取材して、という程でもないので話は次に進むけれど、頑張っている彼女たちには申しわけないようなしょうもない個人的な話です。


紀伊國屋書店に頻繁に顔を出していたのは、伊勢丹デパートでアルバイトをしていたからだ。80年代の前半、大学3〜4年の頃。学校へはあまり行かず、ほとんど毎日のように新宿へ通っていた。

デパートでバイトをしているというと、売り場のおねえさんたちとキャッキャ言いながら楽しく働いているイメージがあるらしく、バイト仲間以外の友人からはう羨ましがられた。しかし実際は、男ばかりが地下3階の一角でむさ苦しく仕事をしていたのだ。

昼休みは社員食堂が利用できたので女性社員と多少会話を交わすことができるのだが、「あなたたちどこの売り場?」と聞かれて「B3」と答えると「B3!?」と絶句されたことがある。

社員がバックヤードで移動する際は業務用エレベーターを使うが、何本かあるエレベーターのうち、B3まで降りられるものは限られていた。たまたま彼女たちがそれに乗ったとしても、業務に関係がなければB3のボタンは押さない。だからその存在に気づいていなかったのだ。社員も知らない場所にオレたちはいるのかと、みんなで凹んだものだ。

じゃあ伊勢丹デパートでいったいどんな仕事をしていたかというと、週末に催される特設会場の設営や撤収をやっていたのだ。「北海道物産展」とか「着物と和装の小物展」みたいなやつですね。

会場では商品を陳列するためのワゴンやガラスケースが必要だが、そうした備品類(什器という)をB3で管理していた。完全な裏方仕事だ。しかも本格稼働するのは店が閉まってからの時間帯。最初は繁忙期に単発で入ったのだが、そのうちだんだん居着いてしまい・・・と、この話は長くなるのでこのへんで止めるが、要するにそういう理由で新宿へ通っていたわけなのです。

そのバイトは基本的に日払いだった。なので帰り際に給料をもらうとその足で紀伊國屋へ直行した。

給料の半分くらいを本に使い、残りの半分でウイスキーを買って帰った。もちろん仲間と一緒に三光町や歌舞伎町で酒も飲んだ。飲みに行かない日はボウリングやビリヤードをした。いま思えば完璧な「地産地消」の日々だった。ああ、青春!

※写真は西口の思い出横町。遊ぶのは東口ばかりで大ガードのこちら側ではもっぱら買い物をした。今はすっかりキレイになったが路地の幅はあの頃と同じなので、空気感はさほど変わらない気がする。

紀伊國屋通いの頃・つづき

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