千葉雅也の著作を手にするのは『アメリカ紀行』が初めてだ。
哲学者・思想家。
ざらっとした手触りの用紙にタイトルと著者名だけ印刷されたシンプルなデザインのカバー。ぱらぱらページをめくると、天地とノド・小口にたっぷり余白をとった文字組みにモノクロの写真が配されている。「哲学の中心はいま、アメリカにあるのか?」という帯のコピーは「32のvariationsで奏でるアメリカ。新しい散文の形。」と続く。
「紀行」と「新しい散文の形」というコトバに惹かれて読み始めた。

2017年10月1日、千葉雅也はボストンのローガン空港に降り立った。ハーバード大学・ライシャワー日本研究所の客員研究員としてこれから4カ月間アメリカに滞在する。
最初の1ヶ月は賃値物件に入居できなかった。B&BやAirbnbを利用したり、知人宅に泊めてもらったりしながらやりくりし、その後ポーター・スクエアに落ち着いて3ヶ月をすごす。滞在中にニューヨークやロサンゼルス、ミュンヘンなどへ出掛けたりもするが、拠点はボストン。「紀行」のメインステージだ。
サバティカル(学外研究)での滞在生活は長期出張のようで淡々としている。アクシデントといえば、アパートの警報器が鳴ったり短い停電があったりするくらい。
ダンキンドーナツで朝食をとり、スーパーやドラックストアへ行く。たばこは喫煙所で吸い、ジムへも通う。
大学の食事会でスピーチをし、ワークショップに参加し、カンファレンスに出席する。研究者に会い、レクチャーや講演を行なう。
大学人の社交には慣れている。交わされる会話は紳士的でクールだが時には少し突っ込んだ議論になることもある。無関係(nonrelation)について。クィア理論の反社会的テーゼについて…。
日常生活のディティールが時系列で語られ、わたしたちもアメリカ滞在生活を追体験する。本書で語られるアメリカは、千葉雅也というフィルターを通すとふだんわたしたちがイメージするより異国感があって新鮮だ。
たとえば「You」という章。あなた本位。相手を主語に立てるという感覚は日本にはないとして、
やはりHow are you?には慣れない。朝、すれ違って、Good Morning だけ言って、すぐに How are You? と言われて、ギョッとしてしまった。余計な負担を求められている感じがする。Have a good day と声をかけられてただちに You too! と返すのは、ハードルが高い。根本的にOSが違う感じがする。形ばかりのこととはいえ、僕が You too! とグッと表情筋を動かして応えるならば、何かタガが外れちゃってる感じだ。(本文p29)
Youという概念は異物として著者の感覚にひっかかる。
こうした小さなひっかかりは、アメリカの生活に適応していく中で解消されたりされなかったりするが、いずれにしてもサバティカルは期間限定だ。
4ヶ月後の1月29日、千葉雅也は日本に帰ってくる。帰国した彼を待っていたのは日本に対する違和感。日本へ戻ってきたというより別の国へ入国したような感覚。
「この本はひっくり返して言えば日本論でもある」と千葉雅也は「ラジオ版学問ノススメ」で語っている。その日本論は、終章の「包装(日本)」で展開される。オセロゲームの終盤で一気に逆転して石をパタパタ返していくように、やや攻撃的な文章で。
終章には、「僕は、今回のアメリカ行きと帰国で…」というフレーズが出てくる。「アメリカ行きで」と書くのが普通かなと思う部分に「帰国」というコトバが加えられている。このあたりが本書の読みどころ。千葉雅也が「紀行」を書いたゆえんか。
「滞在記」ならぬ「紀行」はたしかに32のvariationsで互いに響き合い、静かに奏でられている。
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