スティーブン・キャラハン『大西洋漂流76日間』(早川文庫)は海洋ノンフィクションのもっとも優れた作品のひとつ。救命イカダ(ラバーダッキーⅢ世)で大西洋を76日間漂流し、恐怖と孤独に打ち勝って生還したひとりのヨットマンの記録だ。原書の刊行は1986年。出版から30年以上の時を経てロング・セラーの域を超え、今後長く読み継がれるべき古典となった。
この紹介では彼の漂流記そのものではなく、漂流という境遇に至った経緯と、彼の航海や海に対する思いにスポットをあてて紹介をしたい。
《ナポレオン・ソロ》の制作
スティーブン・キャラハンは1952年生まれのアメリカ人。12歳からセーリングを始め、28歳で全長12フィートの小型艇《ナポレオン・ソロ》を製作した。
その設計は、奇抜ではないが、従来の型にはまらないものだった。わたしたちは、美しさを備え、わずかな風をもとらえると同時に、安定性にすぐれ、荒天にも耐える船体の設計に細心の努力を払って取り組んだ。(中略)釘からネジ、木目にいたるまで、そのことごとくをわたしは熟知している。(本文p21)
クルーザーの製作は「ひとつの生命を創造するかのような作業であった」とキャラハンは語っている。
その愛する《ソロ》で、彼は大西洋を横断するレースに参加した。
ミニ・トランザットと呼ばれるそのレースは、イギリス南西部のペンザンスからアフリカ南西沖のカナリア諸島を経てカリブ海のアンティグア島へと至るもの。小型艇による単独航海だ。
しかしレース当日は強風が吹き荒れる悪天候。「風力は10から12。波の高さは10m以上になる可能性」がある中でのスタートとなった。そして3日後、《ソロ》は吹き荒れる嵐の一夜をくぐり抜けたが船体に亀裂が入ってしまった。
波を受けるたびに、海水が勢いよく流れ込み、亀裂はどんどん大きくなっていく。《ソロ》の損傷はドミノ倒しのように進んでいくだろう。大急ぎで帆を降ろし、応急の補修をほどこしてから《ソロ》を陸へ向けた。(本文p35)
2日がかりでスペインのラ・コルニャにたどり着いたが、彼のレースはここで終わった。《ソロ》の船体はあちこちにへこみができて海水が溜まり、油にまみれてガラスも割れていた。
ひとつの「完結体験」
哀れな状態となった《ソロ》を完全に修理するのに4週間ほどかかり、手持ちの資金も食料も乏しくなった。カリブ海まで行かれるかどうか分からないが、アメリカへ帰るには不足していた。
その間、フィニステレ岬では連日のように強風が吹き荒れて、港には出港の機会をうかがう人々が大勢集まっていた。季節は航海の時期を外れようとしている。しかし、キャラハンは当初の目的地であるカリブ海へ向かう決心をした。
わたしの心のなかには前進を求めてやまない、なにかがあった。空になった財布の中身をふやすことのできる場所に行きつく必要もあったが、そうしたことを超えたなにものかにせき立てられるようだった。(本文p39)
そもそも、キャラハンにとってミニ・トランザットレースへの参加は、もっと大きな計画の一部であった。ひとつの「完結体験」に関わるものだと彼は捉えている。
彼がセーリングを始めて間もない頃、ヨットマンであるロバート・マンリーが13.5フィートの小型艇でノンストップ大西洋横断の記録を樹立した。その快挙に感動したキャラハンは、いつか自分も小型艇で大西洋を横断したいと願っていた。マンリーは、20世紀も後半になったこの時代に、まだ冒険的な生活が可能であることを示してくれたのだ。その後、キャラハンはあらゆる航海記を読み、航海術を身につけ、ヨットの設計を学んで着々と夢の実現に向けて努力を重ねた。
今回の航海には、こうした経緯があったのだ。
大西洋横断

キャラハンの「完結体験」
《ソロ》を手にしたキャラハンは、性能をテストするためアナポリスからマサチューセッツまで1,600キロを航海し、更にミニ・トランザットへの参加資格を得るためニューポートからバーミューダまで1,000キロの単独航海レースにも参加した。これでマンリーの航跡を辿る準備は整った。
わたしにとって、横断は心の内なる航海であり、巡礼の旅ともいうべきものだった。また、大西洋横断は海の男、設計者、制作者としての自分自身の能力を測定する、ものさしともなるべきものだった。(本文p22)
《ソロ》でイギリスまでたどり着ければ、自分に課した大きな目標を達成したことになるとキャラハンは考え、親友クリス・ラッチェムと共に大西洋横断を果たす。
イギリスからは、南へ、それから西へと航海を続ける。ミニ・トランザットと呼ばれる単独大西洋横断レースに参加して、《ソロ》の性能を確かめるのだ。そうしてカリブ海のアンティグア島まで行く。春を待ってニューイングランドに戻れば、北大西洋一周を達成することになる。(本文p22)
これが彼がこだわる「完結体験」である。
わたしは、どうしてあのような苦境に身を置くことになったのかとよく人にたずねられる。どのようにして、サバイバルの知識を身につけたのか?失った艇は新艇か、それとも航海を重ねた艇なのか?どうしてあのような小型艇で外洋を航海していたのか?(本文p19)
答えはすべてそこにあった。
漂流前夜
さて、スペインのラ・コルニャを出港キャラハンは、ポルトガルから西サハラ沖のマデイラ諸島を経てカナリヤ諸島のひとつであるテネリフェ島に到着する。スペインからクルーとして乗り組んでいたフランス人女性カトリーヌ・プゼとはここで別れ、目的地であるカリブのアンティグア島へ向けてひとり西へと航海を続ける。
キャラハンは最後の寄港地となったカナリア諸島のイエロ島を、1982年1月29日の夜に出港した。
わたしと艇の調子はよく、すばらしい航海を楽しんでいる。もし幸運がつづくなら、目的地のアンティグア島には、予定の2月25日以前に到着することができるだろう。(本文p45)
そして1週間後の2月5日の夜、おそらくクジラと思われる何かが衝突して《ソロ》は海中に没する。
その夜から4月21日まで、目的地であったアンティグア島よりやや南に位置するグアドループ島で救助されるまで、3,300キロに及ぶキャラハンの長く孤独で苦難に満ちた漂流は続いた。
過酷な条件の下で一日一日を生き延びていく彼の記録を読んでいくと、スティーブン・キャラハンという人物の勇気と知恵、そして生還への強い思いが私たちの胸を打つ。
生還して
キャラハンが参加したミニ・トランザットは、Mini Transat 6.5と呼ばれる全長6.5mの一人乗り小型ヨット(ソロも6.5m)による大西洋横断レースで、1977年の第1回開催以来、本格的なオーシャン・レーサーを目指す若いヨットマン達の登竜門として人気が高い。Mini Transat 6.5については「日本オーシャンレーサー協会」のHPで詳しく知ることができる。《ソロ》と同じカテゴリの小型艇Mini Transat 6.5が帆走する姿は素晴らしくカッコいい。
キャラハンは生還後も海とかかわる生活を続け、自身の漂流体験に基づいて考案したレスキュー用ボート(特許も取得)の制作なども行っているという。
現在の彼の姿はライブ・ストリーミングで見ることができるが、漂流から35年の時を経てキャラハンもオジサンになり、オデコも広くなった。が、しかしそれも生きながらえてこそ。《ソロ》もろとも大西洋にのみ込まれてしまっていたならば本書の存在もなかった。
長く読み継がれるべきすばらしい一冊。
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