チベット人の心奥を描く8年のラサ滞在記『チベット 聖地の路地裏』

旅の本
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『セブン・イヤーズ・イン・チベット』という映画がある。オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーとまだ少年だったダライラマ14世との交流を描いた作品だ。主演はブラッド・ピット。

作中に少年ダライラマがハインリヒに映画館を作ってほしいと頼む場面がある。ハインリヒは建設に取り掛かるが、作業を行う村人たちは、この場所にはミミズがいるから映画館をつくることはできないという。

なぜなら、ここにいるミミズたちは我々の祖先の生まれ変わったもので、映画館を建設すると彼らの命を奪うことになってしまうので、できないというわけだ。

できないというよりも、そんなことはあり得ないという感覚。

ハインリヒはワーム(ミミズ)なんかにかまっていたら工事が進まないとダライラマに言うのだが、ダライラマはあなたは賢くて知恵もあるのだから彼らを殺さないで済む方法を考えて欲しいと言う。

ハインリヒはやむを得ずミミズを他の場所に移すことにする。掘り出したミミズを一匹ずつ捕まえて山へ連れて行き、僧たちが読経しながら彼らをそっと埋め戻す。そして上から丁寧に水をかけてやるのだ。

このシーンを見て、そこまでやるかとわたしは思った。ものには限度というものがあるだろうと。

しかしチベット人にとって輪廻の世界は絶対的なものなので、多少のことには目をつぶるという概念はないらしい。

熱心なチベット人仏教徒たちは、六道輪廻の世界を肌身でリアルに感じている。ちょうど我々が、地球という惑星が自転をし、太陽の周囲を回っているという科学的事実を「知っている」のと同じような認識レベルで輪廻を捉えている。つまり彼らにとって生まれ変わりとは、信仰の問題などではなく、厳粛な事実(ファクト)そのものなのである。

この部分を読んでひじょうに驚いたが、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のシーンが腑に落ちた。なるほど、そういうことか。

村上大輔『チベット 聖地の路地裏』(法藏館)は、2000年から8年間に亘って人類学者としてチベットに滞在した著者の滞在記だ。新聞に連載した文章やブログ、日記をもとに構成されている。

登場するのはチベットで生活するあらゆる人々。「僧侶や尼僧、日本語を学ぶ若者たち、インド帰りの者、共産党員、元政治囚、遊牧民、ラマ、シャーマン、巡礼者、そして物乞いたち・・・」

チベット人へ注がれる著者の眼差しはプレーンでやさしいが、観察は鋭く洞察に満ちている。そして謙虚だ。

チベットといえばまずは仏教文化。政治的抑圧という言葉が思い浮かぶ。その認識は基本的に間違ってはいないけれど、本書にはそんな通り一遍なイメージを覆すに十分な多様なエピソードが語られている。

何かを論じるのではなく、個々のエピソードを素材として放り込んでいく本書の構成はポリフォニックで心地よい。素材は単体として十分な味わいがあり、混ざり合うことによってさらに味わいを増して絶妙な逸品になる。

数世紀前から変わらず、今も変わることはなく、そして今後も変わることはないであろうチベット人の思考や万物の捉え方。感覚的に理解しづらい部分はあるが、本書によって両者を隔てる理解の壁はうすくなる。

優れた写真や初めて見る図版に興味を惹かれながら一気に読み終えた。チベット人の心奥を描く好著。

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