港町のお寺巡りと『神奈川ピーナツ饅頭』【和菓子をめぐる街道の旅】東海道03神奈川宿

和菓子

ルートマップ<神奈川宿〜保土ケ谷宿>

神奈川地区センターの前に復元された高札場

子安から東神奈川

神奈川宿は神奈川新町から海沿いに延びて青木橋を渡り、神奈川台関門があった台町の先まで続く長い宿場だ。本陣2、旅籠50軒を擁して風光明媚。日米修好通商条約に基づく横浜開港以後は各国の領事館が置かれた。

生麦事件の碑をあとに神奈川宿へ向かう。新子安駅に近づき、和菓子処桃太郎へ立ち寄った。

和菓子処 桃太郎

和菓子処 桃太郎は大正6(1917)年に向島で開業し、子安へ越してきた。自家製の餡と季節の素材にこだわる和菓子店だ。ネットのクチコミではいちご餅やサクランボ餅、ぶどう餅などフルーツを使った菓子が人気だが、店頭に掲げられた垂れ幕が気になって『神奈川ピーナツ饅頭』(1個280円)とショーケースに並んだ『生どら焼き』の「いも」と「抹茶」(各1個200円)を買ってみた。

『神奈川ピーナツ饅頭』はかつて横浜・関内にあった上總屋商店(かずさ屋)の人気商品『横濱ピーまん』を復刻したものだ。『横濱ピーまん』は白あんにピーナツをブレンドして練り上げたあんが特徴。横浜とピーナツという組み合わせは何だかピンとこないが、上總屋商店がピーナツなどを扱う豆菓子屋だったことがわかって納得した。

なんだ、千葉県の上総か。サツマイモを裏ごしした『雅(みやび)芋』も人気だったというのも腑に落ちる。

『神奈川ピーナツ饅頭』のキャッチフレーズは“濃厚リッチな焼き菓子″。独自製法により平釜でじっくり炊きあげたというピーナツあんはふくよかで濃厚な味わいだ。あんことピーナツの組合せは禁断だよなあと思いながら2個を完食。

『生どら焼き』はレモンイエローとグリーンの彩りがあざやかだ。生クリームたっぷりで「抹茶」にはつぶあんもはさんである。

桃太郎と向かい合って通りの反対側にある今川焼きの菊屋はこの日は休店。あずき、白あん、カスタードの3種類であんこがぎっしりだという。買ったら近くの公園で食べるつもりでいたのでこれは残念だった。

神奈川通東公園

京急神奈川新町駅近くの神奈川通東公園は宿場の江戸口。オランダ領事館として使われていた長延寺があった場所でもある。長延寺、江戸口それぞれを解説したパネルが並んでいる。

良泉寺、能満寺、神明宮に立ち寄り、神奈川小学校の敷地の角にある東海道分間延絵図のタイル壁画を見る。解説もタイルになっているので絵図を参照しながらふむふむと読む。家でネットで見るよりもずっと楽しい。

さらに東光寺金蔵院熊野神社高札場をガイドパネルに書かれた解説を読みながら歩く。神奈川宿には横浜市が制定した「神奈川宿歴史の道」という散策ルートがあって随所にガイドパネルが設置されていて宿場歩きに便利だ。

東神奈川から青木橋

慶運寺と浦島太郎

滝の川の手前を右へ折れて京急線のガードをくぐると慶運寺。慶運寺はフランス領事館として使われていたほか浦島太郎伝説にまつわる観福寿寺を合寺したことから浦島寺とも呼ばれている。

神奈川新町周辺には浦島町、浦島丘、亀住町といった地名が現存し、浦島太郎との結びつきを想わせる。小学校も浦島小学校だ。

慶運寺の観音堂には浦島太郎が乙姫から玉手箱とともに授かった観音像が納められている。観音像は高さ一尺三寸(約40センチ)、亀の甲羅の上に立っている。龍宮からもどった浦島太郎が三百年前に亡くなっていた両親の墓を探すとき背負っていたもので、12年ごとの子年に公開される。

浦島伝説は全国各地にあってどれも興味深いが、神奈川伝説は太郎の父が相模国三浦の出身だったこともあってなかなか良い説(お話)になっている。わたしが浦島小学校の卒業生だったら、自己紹介をするときはかならずこのネタを使うと思う。

神奈川宿にはかつて『亀の甲せんべい』という名物菓子があったが販売する店はもうなくなってしまった。

ヘボン

滝の川を渡り、ヘボン式ローマ字表記で知られるヘボンが診療所を開いていた宗興寺を見に行く。

ヘボンは米国ペンシルベニア州の出身。宣教師・医師として安政6(1859)年に妻クララとともに横浜へやって来た。医療活動の傍ら日本で最初の和英辞典『和英語林集成』の編纂や聖書の日本語訳を行い、明治学院を創設して日本の教育にも貢献した。

ヘボンの名前はジェームズ・カーティス・ヘップバーンという。当時の日本人には彼の名前 Hepburnの発音がむずかしくて「へぼん」と訛って呼んでいた。しかし本人はとくに訂正することもなく自分でもヘボンと名乗り、漢字で「平文」とサインすることもあったという。異国の文化に馴染んで人びとに愛されたヘボンの人柄は日本語研究の語彙収集や医療活動に大いに役に立った。

和英語林集成』は国立国会図書館デジタルコレクション。ヘボンの日本での暮らしや『和英語林集成』成立の過程は望月洋子『ヘボンの生涯と日本語』に詳しい。

ところで、このブログは和菓子がテーマなので、ヘボンが好んだ菓子のことでも書かれていないか『ヘボンの生涯と日本語』を再読してみたが、そこまで細かい日常生活に触れた箇所は見つからなかった。ただ、クララが手作りした苺や桃のジャム、食後のパイを好んだというエピソードが紹介されているので甘いものは好きだったはず。おやつにまんじゅうくらいは食べていたと思うのだけれど。

ちなみに『和英語林集成』の見出し語に「KASHI(菓子)」はなくて、「まんじゅう」や「だいふく」もないけれど「だんご」は収載されていた。

DANGO,ダンゴ,團子,n. A dumpling, or bread cooked by boiling. Hana yori dango,(prov.) a dumpling is better than a flower.

『和英語林集成』2版

たしかにダンゴはハナヨリスグレテいるのだ。

宮前商店街と『亀の甲せんべい』

旧東海道に戻って宮前商店街を進む。『亀の甲せんべい』を売っていた和菓子屋浦志満があったところだ。

亀の甲せんべい』は享保年間に神奈川宿の若菜屋という店が売り始め、浦島寺(観福寿寺)が東海道の観光名所になっていたことから土産物として評判になった。若菜屋は店主や店舗を変えながら平成になるまで270年にわたって暖簾を継いだが閉店してしまい、浦志満が『亀の甲せんべい』を引き継いだ。

発売当初の『亀の甲せんべい』は小麦粉を固めて焼いたふつうの瓦煎餅だったが、120年後の文化文政期に、生地に砂糖を混ぜて(後年には卵も)鉄型に流して焼く製法を取り入れてからヒット商品となった。

味も風味も当時としては画期的で、大奥や諸大名の御用達となってますます人気が出た。生地を型に流して焼く製法も各地に広まり、煎餅作りの近代化にも貢献したという。甲羅の形をしたふつうの瓦煎餅かと思ったら意外なストーリーが隠されていた。詳しくは『資料でたどる″亀の甲せんべい″』を参照のこと。ひじょうに詳しく、しかも、資料なのに(と言っては申し訳ないが)すごく面白いです。

青木橋 本覚寺

洲崎大神、普門寺、甚行寺(フランス公使館)と寺社巡りを続けて青木橋を渡る。前方の小高い場所に本覚寺の山門が見える。アメリカ領事館として使われ、ヘボンが生麦事件で負傷したマーシャルとクラークを治療した寺だ。アメリカ総領事ハリスは横浜港を一望できるこの場所を気に入って領事館とした。

台町から洪福寺松原商店街

料亭 田中屋

一里塚があった金刀比羅神社の鳥居の前を通って台町の坂に差しかかる。坂の途中にある田中屋は文久3(1863)年の創業。広重の『東海道五拾三次 神奈川』に「さくらや」と描かれている茶屋が前身となっている。

田中屋は敷居が高いけれど、平日のランチなら何とかなりそうだということで2年くらい前に『神奈川宿御前』を食べに行ったことがある。

落ち着いた座敷に案内され、一品ずつ供される料理をいただきながら女将に田中屋の歴史やエピソードを聞かせてもらって楽しい時間を過ごした。女将に「話が上手ですね」と振ると「これがわたしの仕事だもの」と返された。失礼なことを言ってすみません。酒が入っていたもので。

ちなみに当日のお品書きはこんなかんじ。

『神奈川宿御前』睦月の御献立

  • 前菜 旬味盛り
  • 吸物代わり ずわい蟹のスープ蒸し
  • 御造り 旬の鮮魚三種
  • 焼物 季節の焼き物
  • 御食事 魚沼産こしひかり
  • 御菜 じゃこ
  • 香の物 三種盛り
  • 留椀 赤出汁
  • 水菓子 季節の果物

当時の写真を見たらデザートの〆は虎屋の羊羹だった。季節の御題シリーズだ。意匠の説明をしてもらったような気もするけれど記憶からは抜けています…。

神奈川台関門

台町の坂を上っていくと神奈川台関門跡の石碑。神奈川宿の町並みはこの辺りまで伸びていた。20分ほど歩いて浅間神社の下を通り、さらに進むと芝生追分。その先で洪福寺松原商店街に入る。

洪福寺松原商店街 御菓子司うさぎや

洪福寺松原商店街はひじょうに活気があって生鮮食品や雑貨、衣類の店がならんでいる。ぶらぶら歩いているだけでも楽しいし、お客と店のやりとりを見ていると自分も何か買わないとソンするような気持になってしまう。

御菓子司うさぎやは商店街の中にあり、今年で創業56年目だ。大福から誕生餅まで町の和菓子屋の定番商品がそろっている。この日はお彼岸の真っ最中ということもあっておはぎがたくさん並んでいた。芝生追分にちなんだ『追分餅』(1個150円)と十五夜の『満月大福』(1個250円)を購入した。

『追分餅』はショーケースに入っていないため受け取ってからどんな餅なのか知ることになる。手のひらサイズでずっしり重くとても柔らかい。中身はすっきりしたこし餡。ひとつ残しておいたら翌日にはすっかり固くなってしまった。餅は買ったその日に食べるべし。『満月大福』は外からでもわかるくらい大きな栗が1個丸ごとはいっていた。

商店街を抜けるとと次の宿場の保土ヶ谷宿は近い。

2021年9月19日

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