川崎銘菓と鶴見の『米饅頭』【和菓子をめぐる街道の旅】東海道02川崎宿

和菓子

02川崎宿

ルートマップ<川崎宿〜神奈川宿>

六郷橋

川崎

六郷橋多摩川を渡って歩道階段を下りるとそこはもう川崎宿だ。旧東海道という石標が設置され、通りの向かいのマンション前に宿場の説明板が用意されている。品川宿と同様に川崎宿も道路の幅は江戸時代からあまり変わっていない。

田中本陣

最初のチェック・ポイントは田中本陣の跡。江戸中期、本陣の主人であった田中丘隅は本陣、名主、問屋の三役を務め、経営が苦しかった宿場を六郷渡しの請負権を得ることで財政的に立て直した重要人物だ。民間出身だったが名字・帯刀を許され、大岡忠相に取り立てられて支配勘定格となり3万石を管轄した。

川崎宿は大山詣でや川崎大師参詣者らでにぎわったが、江戸に近いため宿泊需要が少なく経営的にはなかなか苦しい宿場だったのだ。

本陣の解説を読んで先へ進むと交差点の角に「菓寮 東照」が見えてくる。

菓寮 東照

菓寮 東照は大正2(1913)年の創業。店内のイートインスペース「茶寮 木の実」でお汁粉や「奈良茶飯風おこわ(しじみ汁、奈良漬付)」が食べられる。

「奈良茶飯」は川崎宿の旅籠・万年屋の人気メニューで、大豆や粟、栗などを茶で炊き込んだ飯にお茶をかけて食べる食事。豆腐汁や煮染めとセットになった定食だ。

万年屋は「東海道添いにあったすべての旅籠、茶屋のうちでは最も著名かつ繁盛した店」(『たべもの東海道』鈴木晋一)。『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多も万年屋で「奈良茶飯」を食べている。

かわっぴら餅』は1個150円。「粒あんの蓬」と「こし餡の醤油」の2種類があるが、この日に買えたのは蓬のほう。

『かわっぴら餅』は餡を餅ではさんで伸ばして焼いてある。手に持つとうすいけれど存在感があってしんなりやわらかくて上品な味。ちょっと休憩するときのおやつやお土産にちょうどよい。

東海道かわさき宿交流館

東海道かわさき宿交流館は展示室が充実している。2階は江戸時代の宿場、3階は明治から現代までの川崎がテーマだ。館内に入ってすぐのところに「万年屋ふう休憩処」というコーナーがあって座って休めるけれど、あまりにもピカピカできれいなため展示物のように見える。物販コーナーで米と一緒に炊き込んでつくる「奈良茶飯」の素も販売している。

宗三寺

宗三寺は鎌倉時代に創建された古刹。墓地の一番奥に宿場の飯盛り女を供養する遊女の供養塔がある。

問屋場中の本陣佐藤本陣の解説板を見て川崎宿2軒目の菓子屋「菓子匠 末広庵」へ向かった。

菓子匠 末広庵

菓子匠 末広庵のこだわりは旬の素材とオリジナリティだ。伝統的な和菓子のほかにスイーツやプリンも作っている。持ち帰る都合も考えながら『かりんとうまんじゅう』(1個120円)、『来福焼き』(1個160円)、『大師祈願もなか』(1個180円)、『惣之助の詩』(1個140円)を買い、レシートといっしょに月見だんごの予約パンフレットをもらう。今年(2021年)の十五夜は9月21日だ。ちなみに広末庵の月見団子は、”もちもちのお団子に鬼ざら糖のなめらかなこし餡”が入っている。

『かりんとうまんじゅう』はあっさりしているけれど餡の甘さにコクがあり、『来福焼き』は ”「阿波和三盆糖」を贅沢に使用した”つぶ餡がしっとり。

『大師祈願もなか』の「あずき糀粒あん」は小豆を発酵させてから炊いてあって風味がある。『惣之助の詩』は川崎生まれの詩人佐藤惣之助にちなんだ菓子。白あんベースでホワイトチョコや”企業秘密の隠し味がちりばめられて″いて、見た目はわりとふつうだけれど良い意味で期待を裏切るまろやかな乳菓だ。また買いに行ってもいいかも。パンフレットにあった『モンブラン大福』も気になるし。

教安寺

旧道へもどって広い新川通りを渡り、教安寺へ立ち寄る。教安寺は天文22(1553)年の創建。境内に立派な鐘楼があり、江戸時代に鋳造された梵鐘が提げられている。山門の左手に天保11(1840)年に富士講のタテカワ講が旧街道に建立した灯籠が移設されている。富士講が富士山登拝の旅に出るさいに仲間がこの灯籠まで見送りに来たのだ。

芭蕉句碑

見送りといえば、京口見附の先の八丁畷駅踏切の手前に「麦の別れ」といわれる芭蕉の句を刻んだ句碑がある。

『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』

芭蕉は元禄7(1690)年の5月、江戸を出て故郷の伊賀へ帰るが、川崎宿の外れの掛茶屋で弟子たちと別れを惜しんだ。見送りに来た弟子や門弟たちの句が近所の芭蕉ポケットパークに刻まれている。「麦の別れ」のエピソードはかわさき宿交流館の「川崎宿ものがたりBOX」で見るのが楽しいです。

ちなみに芭蕉は草餅や粽など菓子の句も詠んでいて、『清滝の水汲みよせてところてん』は「麦の別れ」のあと京都・嵯峨野の落柿舎に滞在したときの句だ(『和菓子を愛した人たち』虎屋文庫)。

私は関東の人間なのでところてんといえば酢醤油と辛子なのだけれど、関西では黒蜜で食べる。東西の違いは江戸時代からすでにあって、江戸では砂糖か醤油、京都・大阪では砂糖をかけたという(『事典 和菓子の世界』中山圭子)。とすると芭蕉のところてんは砂糖か。黄な粉もかけたかもしれない。

鶴見

市場一里塚

八丁畷駅の踏切を渡って横浜市に入る。市場一里塚は江戸から5里目の一里塚。現存する一里塚だがこんもりした盛り土の部分が失われているのはすこし残念。知らずに通りかかればお稲荷さんに見える。

鶴見川橋を渡り、鶴見橋関門の跡を過ぎると鶴見駅に近づく。

御菓子司 清月

鶴見生麦は川崎宿と神奈川宿の間にあった立場で茶屋が集まり、鶴見では米(よね)饅頭が名物だった。米饅頭は東海道五十三次の関連本でよく紹介される道中唄『お江戸日本橋』(♪お江戸にっぽんばし七つだちぃ〜、というやつ)に “六郷わたれば川崎の まんねんや 鶴と亀との米まんじゅう“と歌われるほどよく知られた菓子だった。御菓子司 清月はその米饅頭をアレンジ・再現している。

米饅頭は米粉の生地で作った饅頭で、元禄~享保のころ浅草待乳山聖天で人気の門前菓子だった。東海道の名物になったのはもう少し時代が下った18世紀にはいってから。米饅頭という名前の由来は、生地が米粉だったから、或いは浅草の鶴屋の娘およねが売り始めたからなどといわれている。

当時の米饅頭は塩餡で、形は江戸時代前期は卵形、後期になると俵形になった。

「清月」の『よねまんじゅう』は、こしあん、しろあん、梅あんの3種類。6個入りのセット(540円)と小麦生地の『鶴の子饅頭』(1個150円)を買った。

『よねまんじゅう』は小ぶりな俵型。餡をうすい羽二重餅で包んであって、餅と餡がすきまなくなじんでいてやわらかい。梅あんはほんのりしたすっぱさに梅が香る。オーソドックスな『鶴の子饅頭』はあんこはがっつりと甘いです。

道念稲荷神社

「清月」から旧東海道へ戻って生麦魚河岸通りを進み、赤い鳥居が連なる道念稲荷神社の前を通る。

道念稲荷神社には300年ほど前から行われている「蛇も蚊も」という行事がある。悪疫の邪を払うため萱で作った蛇に悪霊を封じ込んで海に流したことが起源で、子どもの無病息災を祈念して今も毎年6月に「蛇も蚊も祭り」が行われている。

埋め立てが進んでしまった今は生麦を歩いていても海の気配はあまり感じられないが、江戸時代の生麦は鶴見川の河口に位置する漁村で、東海道も海の際を通っていたのだ。

生麦事件の碑

生麦事件発生現場を通過して国道と合流するとキリンビール横浜工場の前にあるのが「生麦事件の碑」。現場から800mほど離れた場所に建てられている。

事件は文久2(1862)年の8月。薩摩藩の島津一行と遭遇した英国人が下馬の礼をとらなかったため無礼打ちされ、死者1名と重傷者2名を出して政治問題化し、その後薩英戦争を引き起こした。

切られた英国人はマーシャル、クラーク、リチャードソン、マーガレットの4人で、横浜から川崎大師まで騎馬で見物に行く途中だった。碑があるのはリチャードソンが息絶えたところ。マーガレットは刀で帽子を飛ばされて髪を切られたが怪我はなく、マーシャルたちはアメリカ領事館として使われていた本覚寺へ逃げ込んで手当を受けた。治療したのはヘボン式ローマ字表記を考案したヘボン博士だ。

首都高速横浜線の下をくぐって真っ直ぐ伸びる第一京浜の歩道を進むと、神奈川宿まではあと2キロだ。

2021年8月28日、9月4日

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