お江戸日本橋は和菓子の町【和菓子をめぐる街道の旅】東海道00日本橋

和菓子

日本橋

ルートマップ<日本橋〜品川宿>

東海道の起点

道路元標の碑と麒麟像

道路元標のレプリカがある「元標の広場」

ということで、日本橋へやって来た。祝日の午前中ということもあって中央通りはクルマが少なくて気持がよい。「日本橋」は日本の道路網の起点になっていて道路の真ん中に「道路元標の碑」が埋め込んである。徳川幕府による慶長8(1603)年の架橋以来20代目にあたるとされる現在の橋は明治44(1911)年の竣工だ。

橋の欄干中央に青銅の麒麟像が設置されている。麒麟といえばすぐ思い浮かぶのは麒麟ビール。ラベルにデザインされた少し眠そうな目つきの麒麟はなじみがあるし個人的には気に入っている。比べてこちらの麒麟はというと、若干の違和感はあるが、よく見ればそれなりにカッコいいと言えなくもない。ちょっとフィギュアっぽいけど。

日本橋エリア

1800年頃の江戸は人口100万人を超える世界的な大都市で、なかでも日本橋は五街道と水運によって全国から物資が集まるたいへん賑やかな町で…という話はわりと有名だ。そんな歴史的背景もあって日本橋には老舗が多い。

食のジャンルにかぎっても創業100年以上の名店が多く、和菓子屋も例外ではない。行きたい店をチェックしていくとかなり長いリストができあがり、多少絞ったとしても全部を回ることは望めない。今回はスタート地点から近い「榮太樓總本鋪」や「うさぎや本店」「とらや日本橋店」「御菓子司日本橋長門」は時間が早すぎてまだ開店していないことを理由にパス。銀座へ向かった。

京橋 銀座 新橋

途中、どら焼きで有名な「桃六」へ寄り道しながら(定休日だった!)「江戸歌舞伎発祥の地碑」「煉瓦銀座之碑」「京橋親柱」「銀座発祥の地碑」を見学し、「銀座 菊廼舎」と「萬年堂 本店」へ入店。

「銀座 菊廼舎」

「銀座 菊廼舎」は明治23(1890)年の創業で「菊」の暖簾が目印だ。4ヶ月前に銀座コアビルからあずま通りへ移転してきたばかりの新店舗はピカピカの店構え。店頭のディスプレイを眺めていたら和服の女性に招き入れられてするりと入店し、『麩まんじゅう』『揚まんじゅう』を購入した。

『麩まんじゅう』(1個240円/税込)
『揚まんじゅう』(1個216円/税込)

1個ずつしか買わないのは我ながら如何なものかと思うが、歩き始めたばかりなので今日のところはゴメンなさいだ。「この出来に不まん無し」という『麩まんじゅう』は、こし餡がみずみずしくて夏らしさ満点。『揚まんじゅう』はカリカリのマカダミアナッツが香ばしい。

店内に置いてあったパンフレット『中央区 和生菓子まっぷ』を1部いただいて店を出た。

「萬年堂 本店」

つづいて通り向かいの「萬年堂 本店」。萬年堂は元和3(1617)年に京都寺町三条で「亀屋和泉」の名で創業し、維新の東京遷都に伴って八重洲へ移転してきた。灯りを落としたショーケースや白い暖簾から老舗の風格と歴史の重みが伝わってくる。

「萬年堂 本店」へ行くならコレと決めていた蒸し菓子の『御目出糖』『高麗餅』の6個セット(1857円/税込)を購入した。8月の生菓子『葛焼き』も勧められたがこれはまたの機会に。

『御目出糖』『高麗餅』6個セット(1857円/税込)

元禄年間創製の『高麗餅』は手亡餡に挽き茶を入れて大福豆を載せて蒸したもの。『御目出糖』は高麗餅と同じ仕様だが小豆餡に大納言の蜜漬けを散らして蒸してある。見た目が赤飯に似ているため『御目出糖』と命名された。生地の外見は似ていても食感も甘みもそれぞれ違う。ここは両方買うのが正解だ。

新橋

歌舞伎座周辺の菓子店に後ろ髪を引かれながら(「木挽町よしや」とか…)新橋へ進むと郵便局の前に「銀座柳の碑」「新橋親柱」がある。新橋は日常的には駅名や地名としてしか認識しないけれど、埋め立てられて消滅してしまった汐留川に架かっていた橋だ。新橋というからには旧の「橋」もあったのだろうかなどと考えながらJR線の下を通って三田方面へ進む。

高輪

増上寺、浜松町駅を通過して金杉橋を渡ると500mほど先の芝四丁目で東海道は右に大きく方向を変える。けっこうな曲がり方だが、これは東海道が海岸線に沿って整備された道であるためで、「街道」が「海道」である理由がよくわかる。

「高輪大木戸跡」

「高輪大木戸跡」は、日本橋を出て初めて出会う本格的な史跡

この先はしばらくとくに見るべきものや店もなく頑張って歩く区間だ。薩摩藩蔵屋敷跡「西郷・勝会見の碑」を通過すると「高輪大木戸跡」が見えてくる。高輪大木戸は江戸府内の警護施設。朝、開門して夜は扉を閉めた。街道を上り下りする旅人を見送ったり迎えたりする場所でもあり、付近には茶屋などもあったという。

月見の名所

大木戸の解説板によると、当時の高輪は品川宿までつづく海岸の風景が美しく月見の名所として知られていたという。

江戸時代の月見は主に三つあり、十五夜(旧暦8月15日)、十三夜(旧暦9月13日)、二十六夜待(旧暦7月26日)が行われた。なかでも二十六夜待は、月の出を待って拝むと月の光の中に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が現れ有難いといわれて人気があった。

二十六夜待

『江戸名所図会』高輪海辺 七月二十六夜待「国立国会図書館デジタルコレクションより」

大木戸も品川も江戸の町から適度に離れていて、街道の脇はすぐ海という開放的なロケーションになっている。人が集まればそれを目当てに屋台も出てさらに賑わいを増す。三尊を拝むというのは口実でホントのところ二十六夜待は大勢の江戸っ子が集まって楽しむ夏の納涼イベントだったのだ。

ちなみに静かな方の月見のお供え団子は、翌日に焼いて食べるのが慣わしだったという。

品川宿へ

泉岳寺、高輪ゲートウェイ駅を通過すると品川駅港南口に到着。さらに10分ほど歩いて八ツ山橋を渡り、品川宿へ入った。

2021年7月22日

▶01品川宿へ

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